汗かき、べそかき、自転車漕ぎ、

自転車旅で感じたこと、ぼやきその他いろいろ

『環島(台湾一周)する方必見』花蓮〜宜蘭間自転車走行は本当に危険なのか?

 

お久しぶりです。癖っ毛です。

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この度2月1日から同月24日までと4週間弱かけて、環島(台湾一周)をしてまいりました。

今は台北松山駅前のカフェにおります。この記事を更新し終えたら、ご褒美に饒河街観光夜市で最後たらふく食べて、深夜便で日本へ戻る予定です。

世界八大サイクリングロードの1つ日月潭でのヒルクライムと2泊3日のキャンプ、世界三大登山鉄道阿里山森林鉄道、懇丁〜台東〜花蓮間の大自然ライドに台湾十大夜市巡りと本当に最高の旅でした。もう挙げていったら切りがなく、話し始めると止まりません...。

 

今回最後の卒業旅行として、4月から社会人となり忙しくなるであろうことからどっぷり孤独や自分の時間を楽しもうとこのブログ、InstagramFacebookまたTwitterでも全く更新せず走って参りました。

 

*途中花蓮地震を受け、無駄に正義感だけはある癖っ毛は風評被害を最小限にするお手伝いができればとInstagramで台湾の魅力を伝えようと2日に1回現地で撮ったお気に入りの写真と今日の15秒と題しストーリーで毎日動画を1つと更新してしまいましたが...。無論、台湾が予想以上に魅力的過ぎたためにこれをひとりで味わうことが苦しく、共有せざるを得なかった部分もありました。

 

そのため走り終えた今も特にどのような旅をしてきたのか、何を感じたのかなど以前の東欧旅のように細かく更新する予定はございません。また台湾旅行のみならず今やこの環島に関してもブログに書籍と情報が溢れており、癖っ毛が共有する必要もないように思う次第です。

 

ただタイトルの通り今回環島の花蓮〜宜蘭間についてどうしても更新したくなった、しなければいけない、そのように感じ今書いております。

なぜそのように感じたか。単純に言うと

事前のネット情報や話と実際走った時に感じた印象とのギャップがあまりにも大きかったからです。

 

大きく5つの柱でこの記事を書いていきます。

1.はじめに

2.現状

3.実際走ってみてどうだったのか

4.もちろん対策はしよう!

5.最後に

ということで、有名ブロガーさんの記事を参考に今環島において花蓮〜宜蘭間がどのように扱われているのか見た後、実際走ってみて交通量や道路幅など感じたこと、そして癖っ毛が行った対策についてとこの流れで進めてまいります。

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1.はじめに

 

まず始めに誤解がないように申し上げなければいけないことがあります。それはこの記事は決して環島において花蓮〜宜蘭間自転車走行を勧める目的で書いている訳ではないことです。勿論ただの自慢でもありません。

 

では、なぜ書くのか。

それは先程も申し上げた通り事前に集めたネット情報と実際走って見た時の印象とのギャップと環島をする多くの方のこの区間における電車選択に対する違和感でした。

 

ギャップに関しては次章以降で扱うとして違和感についてですが、

それは自分で考えることなしに電車選択をしていないか?ということです。

"有名ブロガーさんが電車を使ったから。"

"ホステルの受付の人に危険と言われたから。"

 

花蓮〜宜蘭間を走り終えて感じた違和感でした。偉そうに聞こえたら大変申し訳ありませんが、そのように電車選択をした方が可哀想にすら思えました。それは例えば親が海外に行ったことがなく、"海外は危ないところだからやめなさい"と小さい頃から言われ、考えることなしに"お母さん(おばあちゃん)が危ないというから行かない"と言っている人を見る感覚と似ていました。

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確かに危ないのだけど"でも...でも..."という感じです。上の例に関して極端な例で現代ではあまり起こりにくいとは思います。それは海外がどのようなところか双方の情報が溢れているからです。

海外は危ないところというお母さんやおばあちゃんの意見。に対して海外で楽しそうに過ごす友人のSNS投稿やほっこりするような海外家族動画があり決して危ないだけのところではないと知り、海外に行くか行かないか自分で考え判断することができます。

 

ただ花蓮〜宜蘭間に関して今"お母さんやおばあちゃんの意見"だけが溢れていて情報が偏っています。私自身この区間を走るか走らないか、本当に判断に困りました。それは走行した人の情報が少な過ぎるまたは無いからです。

 

勿論電車輪行をする沢山のブログを読みました。この方も輪行か、この方も、この...。正直私は走ったことがある人を見つけられませんでした。

台東でキャンプをした時そこの管理人のおじさんには今後の行き先を聞かれ答えると、"そこは落石が起こるから危ない。トラックの為の道路で大量のトラックがビュンビュン走っている。一人で行くのはやめた方がいい。"

花蓮での宿泊先の日本語が話せた受付の人にも"自転車ではありませんよね?自転車で行くのは良くないと思います。"と言われました。

 

こうまでなると考えることなしに電車で輪行しようとも考えました。ただ本気で環島と向き合い、全行程を自転車で終えたいがゆえに冷静に情報を整理し、考え自転車で走行することを決断しました。

 

自転車で全行程で終えたかったのはただ頑固なだけではありません。大学2年の時東北一周自転車旅をし終えた後に友達に言われたことがきっかけです。

"でも電車使ったんだろ?"

パンク修理もできないのに飛び出した大学2年の夏。本州最北端青森の大間付近でパンクして以降秋田山形とパンクした状態で走り続けていました。本来は自転車で埼玉の自宅まで戻る予定でしたが、山形県庁へ着き目標だった東北全県庁はとりあえず終えました。もう体力的に精神的にも疲れ、山形からは妥協して新幹線を使って埼玉まで戻ってしまいました。新幹線の切符を購入するお金があれば最低限山形市内であれば自転車屋さんもあるのでパンクも修理できます。ただ新幹線を選択しました。自分の中で逃げの部分があったからこそ、友達の言葉がぐさっと突き刺さりました。

それ以降自転車旅では日程など考慮したり、鹿児島沖縄間で自転車走行が物理的に不可能な場合以外全行程自転車ということに固執しています。実際半年前西日本一周の際、埼玉の自宅を出て沖縄で折り返し最後の新潟県庁へ行き、その後自宅まで自転車でしっかり帰って来た時の達成感や高揚感は忘れられません。その話はここまでにして本題に戻ります。失礼致しました。

 

まずある有名ブロガーさんが輪行を決断したのは台湾観光局の方に電車を勧められたから。台湾観光局という立場上、これで事故でもあったら責任とれず大変だから勧めることはできないだろう。

そして台東のおじさん、花蓮の受付の方ですが話の流れで"環島はした事がありますか?"とお尋ねしたところどちらも自転車での環島経験がない人でした。それはまさしく"海外は危ないところというお母さんやおばあちゃん"です。

 

本当に危険なのだろうか、と何とかとりあえず考えなしに電車輪行することからは脱することができました。そして実際どうなのか自分で調べ始めました。ここの区間に関するブログなどは見当たらず道の様子などはGoogleストリートビューを参考にしました。そしてまたこの区間が環島ルートに設定されており走ったことがある人が少なからずいることなどから花蓮〜宜蘭間を自転車で走行する決断をしました。

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走り終えて本当に本当に走ってよかった。と心の底から思いました。絶景、達成感や人の温かさ。1400km走ってきた中でも上位、いや一番かもしれません。特に忘れられない1日になりました。

 

この区間に関しては"お母さんやおばあちゃんの意見"だけが溢れ、情報が偏っています。その中で考えることなしに単に電車輪行を選択するのは勿体ない、そう強く感じました。

自分自身道路状況や交通量など噂や友達の友達の友達が言っていたというのではなく、実際に走った人の情報があればもっと賢く素早く判断できただろうと思います。

そこで花蓮〜宜蘭間を自転車で走るのか、走らないのか決める際に参考になればとこの記事を書くことにしました。これこそがこの記事を書く大きな目的です。もう一度言います。この記事は決して花蓮〜宜蘭間の自転車走行を進めるためのものではありません。

 

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2.現状

 

 

とツイートさせていただいた様に基本は電車輪行です。投稿した後に調べたところ厳密には昨年の日本人男性サイクリスト落石死亡事故は太魯閣渓谷の国道8号で発生しており今回私が走った国道9号丁ではありませんでした。ただ有名景勝地清水断崖があるこの国道9号丁一部も死亡事故があった太魯閣国立公園の範囲で、落石が多い地形で似ていることから環島する皆さま基本電車で移動することは変わりありません。

中橫九曲洞落石3傷 日男騎單車被砸昏迷[更新] | 社會 | 重點新聞 | 中央社 CNA

※閲覧注意

 

自転車旅で有名な中村洋太さんもこの区間輪行なさっております。話は逸れますが東欧旅ではよく活用したWarm-Showerというアプリを知ったのも西ヨーロッパ自転車旅経験のある中村さんにTwitterのDMで出費費用をお伺いしたことがきっかけでした。

【自転車旅(環島)】「ツール・ド・台湾」(12)花蓮〜宜蘭 | Run to Infinity

 

自転車で台湾を一周する環島について書籍を出された一青妙さんも同様にこの区間電車を利用されています。

台湾環島8日目 花蓮〜宜蘭 70キロ|一青妙オフィシャルブログ「妙的日記」Powered by Ameba

 

また私が環島を知ったきっかけは野島剛さんの東洋経済新報社から出版されている『銀輪の巨人 ジャイアント』でした。日本一周などと比較するとただの学生の貧乏旅とは異なり、台湾のそれは政治的意味や歴史的背景における意味合いが大きいことにとても惹かれました。その後台湾映画『練習曲』を友人に勧められ鑑賞して、ある企業の新卒社員募集の応募シートでは自転車との関わり方の項目について"就職活動終了後台湾一周予定"とも記入する程に環島に惹かれていきました。その野島さんも上記一青妙さんと同イベントで環島をなさっていますが同じく電車で移動なさっております。

https://nojimatsuyoshi.com/2017/10/27/台湾環島day6:長濱(台東)〜礁溪(宜蘭)70キロ/

 

 この記事で野島さんは、"通常の台湾一周では、花蓮から宜蘭にかけての交通量の多くて道が細くなる路線は回避して電車を使って移動する。花蓮駅から宜蘭駅まで電車に揺られ..."と仰っています。この記事自体は環島後に拝見しましたが、"通常の"と言われるとあたかもあの区間を自転車走行した自分が異常で、してはいけない事をしたように感じました。誰にとっての"通常"なのか。通常とはなんだろうと考えてしまいました。

 

とにもかくにも花蓮〜宜蘭間は電車輪行で自転車を使わず移動する方が多いことがお分かりいただけると思います。基本的にこれらを参考にして一般の方もこの区間電車で移動なさいます。

 

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 3.実際どうだったのか

 

 

※こちらのツイートをこの記事内で使用させていただく許可は本人から頂いております。

この区間は○×なので電車でなどのブログの記事やツイートを見ているとどれも具体的な例や画像がない余りにただ漠然とビュンビュントラックや観光バスが行き交い、トンネルはとんでもなく狭く、びくびく怯えながら走っている自分の姿だけ想像されました。

では実際に走ってみてどうだったのか。

 

あれ?そうでもないような?

今まで聞いていた話と違う...

 

この上の方のツイートをもとに検証していきます。あくまで一個人の感想で参考程度にお聞きください。

まず"この間の道路は非常に道幅も狭く..."ということで道路の幅に関してです。結論から言うと台湾の方からすると狭いが日本人からすると一般的少し考えて見てこの"非常に道幅も狭く"問題の謎が解けたように思えました。

 

恐らくこちらのツイートされたじょうた@さんは台湾人の方と複数人で周っており、ルートや宿泊先も任されていたようです。この情報は彼らすなわち台湾の方からでしょう。道幅が狭いから危ないため電車で移動したという日本人の方の記事なども複数ありますが、恐らく現地で得た情報などで彼ら(環島をしている日本人)に道幅が狭いと伝えているのは多くが台湾人でしょう。

では台湾の方にとって狭く日本人からすると一般的である(むしろ私はこれまで狭い狭いと刷り込まれてきたので広いとさえ感じました。)とはどういうことなのか。台湾の方が狭いと言う時彼らには何かしらの基準(比較対象)があるはずです。それは台湾の一般道路です。では台湾の一般道路はどのようか。

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これは雲林縣の環島1号線上のある道路です。一番右から路側帯、自転車用、スクーター用で残り3車線は車です。正直これは少し広めのものになりますが、十分な路側帯と二輪車用のレーンそして車道というのが一般的です。そこで花蓮〜宜蘭間の一部道路を見て見ましょう。具体的に大きさや幅がイメージできるように車が通過するのを待って撮影した1枚です。

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確かに上の街の道路写真と比べると狭いかもしれません。しかし日本人からするとどうでしょうか。上の台湾の一般道路が広すぎるくらいでこの花蓮〜宜蘭間の道路は広いとは言わないまでも特に狭いという印象は抱かないのではないでしょうか。むしろ私の家の前の国道299号より広いと思います。また個人的に富士スカイラインや箱根より広いし安全と感じました。筋力など個人差があるので難しいですが基本的にこの道は龍状でなく蛇状に横にくねくねだらだら走ります。そのため勾配も全く急でなくほぼ平坦で楽だと思います。全くこんなに登らされちゃったよというよりは、断崖絶壁を見てあれこんなに登ってたのかという感じでした。

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結論、道幅は日本人からすると大して狭くない。むしろ箱根や富士スカイラインの方が狭いですし、観光バスが行き交い危ない。普段から日本国内で自転車に乗り慣れている方であれば今回の私のように特に狭いや危険など感じることはないかもしれませんが、まだ自転車を始めたばかりで車とぶつかりそうと車道を走れなかったり恐怖感を感じる方には電車での輪行をおすすめします。

 

ここで上のツイートのトンネルに行く前にちょうど観光バスの話が出たので次にこの区間の交通量のお話をさせていただきます。

私自身ここを走るか走らないか情報を集めている際に"トラックや観光バスなど交通量が多いのもあり電車に乗ることにした。"などの投稿を拝見しました。実際台東のキャンプ場のおじさんにも言われました。Google翻訳を介してでしたので的確に訳せているかは疑問ですが、産業道路でトラックがビュンビュン行き交っているから危ないようなことを言われました。

 

花蓮から蘇澳をつなぐ蘇花航路約100kmを走ってみて、記憶の限り大型観光バス1台に抜かれ、反対車線で合計10台ほどトラックが走っているのを見ました。100kmでこの数字なので少なくともビュンビュンという想像からはかけ離れていました。車とのすれ違いで身の危険を感じたことは一度もありませんでした。実際はもっと走り過ぎていたかもしれませんがあまりに安全で数を記憶するにも値しなかっただけかもしれません。もちろんドライブする一般車は通常通りいました。抽象的に沢山と言われると個人的には都内環八のような渋滞や交通量を想像してしまいますが特に沢山という印象は受けませんでした。大変抽象的ですが一地方の道路という感じです。高雄や台北、台中の街中のような交通量は全くありません。

観光バスがこの公路を走るのは恐らく清水断崖まででしょう。自家用車やレンタルカーで走っている観光客も基本はここまでのように思います。清水断崖は七星潭を過ぎ太魯閣大橋を渡り本格的にこの海岸線に入って5キロ過ぎにあります。なので大半がここまでしか走りません。そのため100kmある中の最初5キロを過ぎると交通量は少なくなりそうです。実際に私もそのように感じました。知らぬ間にどんどん交通量が少なくなっていて、通り過ぎるのは基本カメラをヘルメットに装着し海岸線を楽しんでいるバイク乗りの方がメインでした。

交通量に関しても特に騒ぐ程ではないと感じました。

 

 では続いてトンネルに関して見ていきましょう。

"トンネルが沢山あり危険だそうです"とあります。箱根峠行く前に埼玉から移動していて国道16線だったかのどこかのトンネルで狭い道に信号が青になり動き出した車とトンネルに鳴り響く近づいてくるそれらの轟音で友達とひやひやな思いしたり好むものではないでしょう。なんだか長いトンネルは息苦しくなってきます。

 

で走ってみて正直トンネルが沢山ある印象はなく、100kmの中で身の危険を感じたことは一回もありませんでした。実際に先ほどGoogleマップをもとにトンネルの数を数えてみたところ6つでした。この緑のタグがトンネルがある箇所になります。基本的には海岸線や崖を右手に開けた道を進みます。自分が感じた感覚は間違っていなかったようです。"沢山"とだけ聞くと最低でも10個以上は想像してしまいます。少なくとも私はそうでした。

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 ただトンネルの数が実際多くないとわかったとしてもそれらが狭く長く、交通量が多ければ何の意味もありません。どうだったのか。

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どのトンネルかまでは覚えておらず申し訳ございませんが、6つ全て同じようなので特に問題はないと思います。このトンネルを見て皆さんはどう感じますか?

まず明るさは全く問題ありません。日照時間が短い東欧諸国旅で日没後の走りも考え購入した400ルーメンのフロントライトは1度も使用しませんでした。トンネル内の灯りで十分だったためです。路面も大変綺麗です。日本のいくつかのトンネルのように白線に凸凹があることもなく、排水溝との間に段差もなく大変走りやすいです。日本国内のトンネルを走る時のような恐怖感は一切ありませんでした。幅も問題ありません。日本のトンネルより確実に広く、むしろ日本の一般道程です。先程申し上げた通り交通量は全く問題ありません。

むしろトンネルに関していくつかのトンネルでは換気のためか手彫りか荒々しく外と貫通する穴があり新しい発見で面白く、楽しみながら走りました。あの貫通穴あるかな?どこかな?という感じで毎度わくわくしていました。トンネル内のため現地の方の交通の邪魔になることは避けたく貫通穴の撮影はしませんでした。気になる方はぜひ自分で走ってお確かめください。

 

あと日本でトンネルと言うと登り坂の途中に設けられていて傾斜がありスピードもでず道幅が狭いのでふらついて車にぶつかるのが怖いという方もいると思います。ただ道全体本当に勾配が緩くトンネル前のスピードと変わりなく安定して走れました。具体的にクロスバイクで荷物40kg弱積んだ状態で20km/h下回りませんでした。これも頑張っている漕ぐ感じでなく、周りの景色を楽しみながら余裕をもった状態での走行になります。そのため、事前調べで少し心配していた1.4kmに及ぶ長いトンネルもこの公路間でありますが何も問題なく走ることができました。

 

道路幅、交通量そしてトンネル事情に見てきましたがそれ以外に私が気になっていたことがあります。果たしてこの公路自転車が走行していいのか、できるのか。環島ルートに組み込まれているのだからいいに決まっているだろうと何も当たり前かもしれません。が、Googleストリートビューで道を確認した際にこの自転車禁止標識が気になっていました。

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タネは簡単ですが当時はこの標識だけが目に入りどうなのだろう。もし走行禁止ならば折り返して花蓮から電車を利用するパターンも用意しておりました。実際に当日走った際旧正月ということもあり警察がこの公路上にあちこちいてここから先は通過できないよ、と止められるのではないかと横を過ぎる度にひやひやしておりました。正直この画像もしっかり見れば謎は解けるのですが当初は調べ不足でした。実際に走ってみてわかりました。

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禁止標識の下に"邊溝上面禁行自行車"とあります。つまりこのカラーコーン後ろの段は走ってはいけません、ということでしょう。車道は通常通り走行可能だと思います。車道が怖いと行ってこの段差部分を走る方はいないと思いますが、何はともあれ自転車での走行も物理的また法律的に問題なさそうです。

 

最後に皆さまが心配されることは"落石"についてだと思います。

 冒頭でも紹介しましたが、太魯閣渓谷での自転車イベントに参加予定だった日本人男性が前日に試走していた際渓谷の九曲洞トンネル付近で落石に遭い亡くなられるという事故が昨年発生しました。正直この落石に関しては適当なことは言えません。太魯閣渓谷は前日にバスで、清水断崖がある蘇花公路は今紹介しているよう自転車でと両方足を運びました。確かに渓谷の方は落石が怖いという印象を受けました。5~10m以上の巨大な石が真下にゴロゴロあり、歩道以外は十分に落石防止の補強などがされていない印象がありました。天祥まで行く途中崩れている箇所も拝見しました。バスで来ていてよかった。旧正月ということもあり国内外問わず多くの自転車乗りの方が走っていましたが、すごいなあと眺めていました。さすがに渓谷を走るのは怖いなあという印象でした。

ただ蘇花公路の方は100km走って落石による恐怖を感じませんでした。もちろん反時計回りで環島をする時この区間は海岸側で、崖側とは一定の距離があります。また落石防止の補強もありある程度の安心感が、少なくとも渓谷よりかはありました。

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ただ勿論道隅に時々小さな石があったりしました。落石で直接海岸側のここに来たのか、誰かが車道に落ちた石を走行の邪魔だからと隅に寄せただけなのかはわかりませんが落石の可能性は勿論否定できません。この区間を走行した際合計10名ほどのサイクリストと会いました。2名は同じ宜蘭側へ、他は時計回りで環島をしており反対車線を走行していました。正直渓谷でサイクリストを見た時と同じように崖側の反対車線を走っている方を見る度にすごいなあと思いました。あちら側は少々怖いかなあ。ただこの区間を走っている方は他にもいたということです。またこの10名という数字ですが毎日台湾中走っていましたがほかの区間で会うサイクリストの数と変わりないと思います。特別にこの区間走る自転車の数が少ないということも感じませんでした。

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またこの記事を書くに当たって良いところばかりでなくしっかりと現実も伝えなければなりません。下のような箇所もあったことも事実です。ただこのような崩れた箇所は100km間でここ一箇所のみでした。ちなみにこの箇所は最後東澳から蘇澳に向かう峠途中です。

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東澳から蘇澳間は車道専用道路(国道9号)があり、車はそのトンネルを通るのでこの区間(国道9号丁)は自転車とスクーターしか基本走りません。交通量が全くなく余裕があったので覗き混んで崖下を撮ってみましたが、このような感じになります。

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この区間の落石に関して個人的には、渓谷は確かに危ないがここは反時計回りで海岸側を走る場合そんなに心配しなくてもよいのではないかと思います。渓谷は落石防止の整備の問題や両サイドが崖になっていますから左右から落石の可能性があります。蘇花公路の場合渓谷に比べ整備が進んでいるのと石が落ちてくるのは片側のみとなります。

 

ただ、

落石に関して注意しなければいけないのは天候になります。基本的に雨天時や大雨が降った後に落石や土砂が発生するようです。この記事を書くにあたり蘇花公路での落石に関して少し調べてみました。勿論悲鳴をあげたくなるような大規模なものも過去にあります。ただそれらの画像に大体共通している事はやはり雨が降っている、路面が濡れているまたは砂が湿っていて泥になっていることです。つまりやはり雨が降っている時、雨後に発生したと考えられます。

ちなみに私はこの区間を2月20日に走りました。花蓮に着いたのは2月17日です。この期間の天気を見てみましょう。

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2月17日は曇り時々雨、18日は快晴で花蓮の街をサイクリングしていました。美しい七星潭の景色を拝見することができました。19日も快晴でこの日は宿泊先に自転車を置きバスで太魯閣渓谷に観光に行きました。そして20日は晴れのち曇りでした。基本的に快晴でしたが最後東澳辺りでは雲が出てきました。どれ程参考になるかはわかりませんが私の場合少なくとも前2日と当日は晴れており17日一時雨は降りましたが激しい雨ではありませんでした。落石がなかったのも走行日付近と当日大いに恵まれた天候のお陰だと思います。

実際に淡水で自転車を借りた際大まかにどこを走るのかお兄さんに聞かれました。花蓮〜宜蘭間を走る予定であることも伝えました。特別な反応はありませんでした。ただ、"その区間を走る時雨が降っていたら電車を利用しなさい。"と言われておりました。

話は少し変わりますがこの旅期間世界八大サイクリングロードの日月潭を走りました。日月潭へ登った日は雨でした。翌日も雨だったのでバスで湖畔を観光することにしました。その際バスの窓から軽い土砂や落石のようなものを見て、その区間は片側車線走行になっていました。日月潭入りした日は特に何もなかった道です。これで少し雨と落石また土砂の怖さを感じた私は、花蓮〜宜蘭間を走る際雨が降っていたら大人しくお兄さんのアドバイスに従い電車輪行しようと考えていました。本当に有難いことに天候に恵まれたため、電車を使わず走ることができました。

もし走る場合は走行日だけでなくその前2.3日まで天気を確認しておく必要があると思います。

 

そしてこの章最後に皆さまにお伝えしなければいけないことがあります。それは私がこの区間を走った時期と時間帯です。交通量などのお話をしましたが多かれ少なかれそれらが影響していることは否定できないからです。

私が走ったのは2月20日で台湾における旧正月振替休日の最終日です。つまり祝日です。トラックが少なかったのはこのためかもしれません。ただ祝日なので家族や友人また恋人とドライブする方や観光バスは増えますからなんとも言えないところです。今回のこの交通量を一般化してよいのか難しいところです。

あとは時間帯ですが清水断崖は恐らく昼間になるとドライブや観光バスなどで溢れるのではないかと心配し朝7時過ぎには花蓮の街を出発しました。写真の撮影データから9時手前には太魯閣大橋を渡り海岸線に入っています。清水断崖付近には9時半前後に辿り着いています。

そのためこの情報を鵜呑みにする前に、私が走ったのが旧正月であったことと午前中に走っていることは考慮した方がよさそうです。

なんとも旧正月という特別な時期に走ってしまい皆さまの参考になるのか...申し訳ございません。

 

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4.もちろん対策はしよう!

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。皆さまはどのように感じていらっしゃるでしょうか。

"やっぱり危険そうだな、電車を使おう。"

"あれ思っていたよりも安全そうかも、自転車で走ってみようかな。"

人それぞれであると思いますが、この章では自転車で行ってみようかなと思った方に対してこの区間を走る際にすべきことについてお話ししていきます。私がこの区間を走る際にどのような対策をしたのかです。

私が行ったことは3つです。

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1.テールライトの使用

2.視認性の高いウェアの着用

3.御守りの携帯

まずは1.テールライトの使用から見ていきましょう。これはサイクリストであれば当然のこととは思いますが、先ほども申し上げた通りこの区間には6つのトンネルがありますので必須アイテムです。1km以上のものもあります。昼間だから大丈夫でしょ?フロントライトも使わないほどに明るいんでしょ?と思われるかもしれませんが念には念をしっかり自分が走行しているということを車の方に主張しましょう。

また私はこのテールライトをどこにつけるのか試行錯誤しました。通常通り自転車後部に付けてもよいのですが、いちいちトンネルの前後で自転車から降りライトを点けたり消したりしているのではストレスです。ずっと付けっぱなしでもよいのですがいざトンネルを走っている時に電池が切れたのでは意味がありません。

始めはヘルメットに取り付けて走り始めて1つトンネルをくぐり抜けました。走りながら頭の後ろに手を回してスイッチを操作できるのはいいのですが点いているのか確認が難しいです。

その結果私は下の写真のようにハンドルに固定することにしました。左ハンドルに付いています。これであれば走行しながら操作もでき、目で点いているか確認もできます。もっとわかりやすい写真用意しておけばよかったのですが申し訳ございません。このテールライトもフロントライト同様に東欧旅のために購入したもので明るいものになります。

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次に2.視認性の高いウェアです。まさかウクライナの自転車屋さんで泥避けを購入ついでに、安くしてあげるから買いなと言われ購入したこの蛍光ウェアがここで活躍するとは予想していませんでした。この区間トンネルが多いと聞いていて(実際のところ6つ)これは持っていった方がいいかなとなんとなく日本から持ってきていました。

すごく技術的でなく精神論や抽象的なお話になってしまいますが、どれだけこの区間には対して本気なのか他者に伝えるということは走り終わった後大変重要だったように思います。

正直こんなウェアダサいし、クールでないので嫌だと感じている方もいらっしゃるかもしれませんがぜひ着ていただきたいです。

前述のテールライトとこの蛍光ウェアのお陰で事故なく走り切れたのかなと思います。恐らくここを走る台湾のドライバーの方に、"テールライトもしっかり点けて、こんなダサい蛍光ウェアまで来てコイツは本気でこの道と向かい合っているな"と感じさせることができたかなと思います。別にそんなこと感じていないかもしれないし本当のところはわかりませんが、このウェアのお陰か1回もクラクションを鳴らされることもなく、追い越す車も幅に余裕があるところで丁寧に抜いていただいたからこそ事故なく終えることができたと思います。具体的にどうこうというのは難しいですがこの花蓮〜宜蘭間を走るにあたり、この道と真摯に向き合うことはすごく大事なことのように思います。視認性の高いウェアは私なりのそれを示す1つの方法でした。

 

やはり最後は神頼みということで3.御守りの携帯です。この御守りは自分で購入したものではなく、友人が台湾旅行に行った際にお土産としてくれたものです。この区間を走る前日から御守りに無事走れるようお願いをし、当日太魯閣大橋を渡り本格的な蘇花公路が始まる前には首にかけた御守りをぎゅっと握り、"お手柔らかにお願いします"と走り始めました。"自転車旅中に死ねるなら本望で別に落石で死んでもいいのだけどできれば死にたくないかなあ"なんてことを話しかけておりました。それのお陰か無事事故なく美しい大迫力の絶景を見、走り抜けることができました。これもこの道と真摯に向き合う自分なりの方法でした。

 

こいつは最後に何を言っているのだと思われるかもしれません。でもなんとなくこういう馬鹿らしいことが大事な気がします。

例えば"ここの道めっちゃ崖で絶景なんでしょ、インスタ映えしそう。なんで皆ビビって電車なんか使ってるの。落石なんて起こらんしょ。イェーイ。"みたいな態度で走っていたらきっと落石に遭っていたと思うんです、前日や当日が雨とか晴れとかそんなこと関係なしに。

 

ぜひこの記事を読んで、色々考えてこの区間を走ると決めた方には真摯にこの道と向き合っていただきたいなと思います。

 

最後に本当にこの道は素晴らしい道でした。落石や色々リスクはあるかもしれませんが、少なくともそのリスクを張るだけの価値は大いにあります。実際走ってみて工場が沢山あって空気が悪かったりと西海岸のような道だったらこの記事を書こうとは思っていないでしょう。4週間弱で1400km走った中でも本当に一番と言っても過言ではない区間だったために今記事を書いています。台湾十景の清水断崖を含む100kmの絶景。本当に写真ではなかなか伝わらないのが悔しいほどです。横で海の広大さを伝えようとすると断崖の迫力が失われ、縦で撮ると断崖の迫力は収められるが海の広大さがなかなか伝わらない。この写真では伝わらない難しさやもどかしさは太魯閣渓谷にも共通しますが実際の目でみていただきたい。天と海の境目がわからない程の美しい青景色も圧巻だった。また電車を使わず全行程を自転車で環島を終えたというこの上ない達成感。この道は決して100%安全が保障されている道ではない。だからこそバイクや車の運転手からかかる"加油"は、この環島中何度も言われてきたけど特にここの区間でのそれは至上のものでとんでもない力になりました。

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最後東澳の峠を越えて蘇澳の港町が見えた時、

"あー、生きている。生きてまた環島続けられるんだ。よし、あと少し頑張ろう。"

と思いました。あの安堵感というか、達成感というか、不思議な感覚。蘇澳に着く頃にはすっかり曇り空で別に綺麗な景色でもなかったんだけどこの蘇澳の景色は忘れないだろうと思います。

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そしてあの絶景は夢だったのかな、なんて思いながら下り坂に身を任せ宜蘭の街へ下っていくのでした。

 

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5.最後に

 

私がこの区間を走る決断をした、走りたかったのは先ほども申し上げた通り全行程を自転車で行いたかったからです。それに加えて『練習曲』を観た際にこの区間で主人公がパンクしたり、雨に打たれながら必死に走る姿に少なからず心打たれていた部分があったからです。映画の中だろうと言われてしまえばそれまでですがあの彼の姿を見ておきながら、のうのうと電車に揺られることはできませんでした。後は旅をするにあたり、自然や絶景というのは私の中で重きが大きいです。

環島するにも目的やスタイルは人それぞれです。例えば台湾の歴史や寺院を主に置いたとすればこの区間は落石のリスクを負ってまで走る価値はないかもしれません。グルメに目がなく台湾十大夜市巡りを旅のテーマとする人にも同様だと思います。

ただ絶景や自然また達成感だったり運動としての走りごたえを重視するならば、落石などのリスクを負ってまでこの区間自転車では走る価値は大いにあると思います。

本来今回の旅は友人と2人で行う予定でした。ただその友人がインドへ旅行に行き、食中毒に複数回なりました。今回はちょいとパスということで結局またいつものひとり旅となりました。ただその友人がいたら友人の命まで責任は取れないので電車で移動していたかもしれませんし、友人は電車で行かせて私一人で自転車で走っていたかもしれません。わかりません。

ぜひ自分の旅の目的やスタイル、一人なのか複数人なのかなど状況を整理してこの区間自転車で行くのか、行かないのか決める際に少しでもこの記事が参考になれば幸いです。

 

花蓮〜宜蘭間を自転車で走る、走らないに関わらずこれから台湾一周する方の環島が素敵な思い出となることを心より願っております。

 

ここまで長くお読みいただきありがとうございました。

ではでは失礼致します。

ブログの更新に関して

 

10月27日08:30

今はロシア・サンクトペテルブルクにおります。

朝方や夜など気温は氷点下になります。恐らく寒さのためか、外出中スマートフォンの充電が50%から急に切れたり減り方が著しく早いです。

このあと朝食と買い出しを済ませたらいよいよ自転車で走り始めます。旅中の宿泊に関してWarm-Showerというアプリでホストの方が通る街におり、泊めさせていただける場合は積極的に利用します。それ以外は基本的に湖や畑の隅などでキャンプを考えています。治安やその他やむを得ない場合はモーテルやゲストハウスの安宿での宿泊も考えております。

街の様子を見ていますが日本と異なり外での電源の確保は難しいと思われます。とりあえずサンクトペテルブルクを出るとタリンまではホストもおらずモーテルなどを利用しない限り電源の確保はここ5日間ほどできないと思われます。タリンでもホストが宿泊許可をくださるかはわかりません。ブログのために宿泊費を払って電源を確保する予定はありません。必要時のバッテリーを保つために1つの記事の編集更新に3時間前後を要するブログは一旦様子を見ようと思います。5日に1回丸一日など時間を取り一度にまとめて何日分かを更新するか、または帰国してからの更新なども考えています。

ツイッターやインスタグラムであれば、140字打ったり、写真をあげるだけですぐ終わるのでそのためにバッテリーが著しく減るということもありません。そのため基本的にはそちらで旅の様子は発信していこうと思います。

お時間あるときに見ていただけると幸いです。

 

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ではでは失礼致します。

歳の数だけ東欧・南欧諸国1万キロ自転車旅第10走:寝台列車サンクトペテルブルク行き切符購入しました。

 

10月23日(月)

1週間で7GBの契約でもう1週間過ぎたけど使えるのだけど大丈夫だろうか。パスポート先の住所に高額な金額請求されないよなあ、と心配な癖っ毛です。

前の日にほぼ閉まっていましたがヴェリニサージュ市場にも寄れたこともあり、やることリストはあと3つです。クレムリン内部の見学、ビーフストロガノフとペリメニそしてサンクトペテルブルク行きのチケットを買うこと。火曜日は出発の日なので荷造りなどを終わらせのんびりしたいと考えているのでこの日に全てこなしたいところです。

さてさて無事に全て終えることができたのか。

 

まずはサンクトペテルブルク行きのチケットを達成しようとしました。パベルさんからはサンクトペテルブルク行きの列車はレーニングラツキー駅で買えると伺っておりました。レーニングラツキー駅付近の駅へは、まずバスに乗り近くの地下鉄駅へ向かいます。そこからは一本で行けます。

先日も申し上げた通りグーグルは本当にすごいなと感じております。モスクワ郊外の路線バスまで案内できるみたいです。グーグルの案内で表示されたバス乗り場で待ちました。752番に乗るよう指示されました。グーグル上では9分ごとに発車しているようでしたがそこはうまく行きませんでした。他の番号のバスがいくつも過ぎる中待ちました。結局35分ほど待ちました。途中あまりにも来ないので郊外電車で乗り換えたり、他の番号のバスで目的の駅へ行こうともしましたが、おとなしく従うことにしました。とりあえず少々待ちましたが752番のバスが来たのでよかったです。そこからはグーグルのGPSを使ってまだ駅じゃないかなあと睨めっこ。どこでバスを降りるのか、そして今自分がどこにいるのかが明らかなので本当に便利です。まずは家の近くの地下鉄駅に着きました。

バスと同じようにICカードをタッチし改札を入ったのはいいが前日の郊外電車と同じくどのホームに行くべきなのか。まだこの駅は小さく地下鉄のレッドラインだけが通っており2つしかホームがないので助かりました。各ホームに行き先が書いてある表示板がありました。もちろんキリル文字だけです。グーグルに表示されているコモスモルスカヤ駅のキリル文字表記をその目の前の表示板で探します。いくつも駅名が表示されている中見つけることができ、どちらのホームかはわかりました。念のため近くにいた人に指差しとコモスモルスカヤと駅名を繰り返しなんとなくホームが合っていることを確認します。モスクワ2日目の日にこの地下鉄を使いパベルさんと都市部へ向かったことがあり、その時と同じ景色が見えた時は安心しました。

あとはコモスモルスカヤ駅で降りるだけです。郊外電車の時とか異なり今回は簡単でした。それはなぜか。都市部を走る地下鉄は恐らく海外からの観光客も多く利用しているためか、アナウンスはロシア語の後に英語が繰り返されます。耳をすませて、Next station is コモスモルスカヤのアナウンス。無事にコモスモルスカヤ駅に着きました。こんなに駅を装飾する必要があるのか、ミニマリストな癖っ毛には理解が難しいですが面白い価値観や美意識だと思います。でも日本のようにシンプル過ぎても特に地下鉄は真っ暗ですし閉鎖感があり息苦しいのでしょうか。毎朝の通学や夜の帰宅時に電車内で顔が死んでいるサラリーマンの方を多く見てきました。なんとなくどんよりな雰囲気の日本の電車内。このように駅をきらびやかにすることで少しは気分も晴れやかに毎朝過ごすこともできるのかなあなんて考えたりしていました。

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 ホームはもちろん駅の外観も同じような力の入れようです。これは別の駅で昨日利用したキエフスキー駅で待ち合わせの時になんでこんなに見た目にこだわるのだろうと不思議に思ってふと撮った一枚です。

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無事にコモスモルスカヤ駅のホームに降りたはいいですがこの駅は付近に4.5個駅があり乗り換えルートが多く出口に出るのに一苦労でした。自分が利用したのは1番ラインで知らぬ間に適当に歩いていたら9番ラインのホームにいました。一息つき落ち着いてからまた歩き始めレーニングラツキー駅の案内を見つけたのでそれに従いレーニングラツキー駅に着きました。階段を上がり外へ出ると先週見たのと同じ景色。横はシベリア鉄道モスクワの終着駅です。とりあえず目の前にあった切符売り場に行きましたが郊外電車の売り場で、サンクトペテルブルクや長距離列車は中のカウンターだと案内されました。指示通り中に入って長距離列車の切符売り場を見つけました。ただどうやら整理番号のようなものが必要みたいです。その発券機は見つかりましたがこれでは手も足も出ません。落ち着いて画面全体を見ますが英語表記変更へのボタンはありません。

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とりあえず長距離列車切符売り場のカウンターで暇そうな人に聞いてみました。サンクトペテルブルク行きの切符を自力で買った他の方のブログで読んだように、事前にオンライン購入の画面で列車と席を決めてスクリーンショットを撮りました。それを見せながら買いたい旨を伝えます。

ここで骨を折る事件発生です。カウンターの方は単語単語の英語での対応でした。それはまた良いのですが、どうやら癖っ毛の買おうとしていた列車はレーニングラツキー発ではないためここでは購入できないようなのです。全てサンクトペテルブルク行きの電車はレーニングラツキー駅から発車しているものだと思っていました。パベルさんの言っていたことは適当で間違いだったのかと言うとそうではありません。レーニングラツキー駅から出るサンクトペテルブルク行きの電車は日本の新幹線に相当するもので約4時間でいける早い列車に限ります。その列車は安い席でも1万円前後します。癖っ毛の乗ろうとしているのは9時間かかる寝台列車の一番下の三等でトイレ付近の最安値で約1600円です。別にサンクトペテルブルクまで急ぐ必要はなく高速電車で行く理由がありません。できる限りコストを抑えるに限ります。

ここではお目当の寝台列車の切符は買えないとしり結構メンタルを削られましたが不幸中の幸いで、その発車駅はここから遠くありませんでした。グーグルで調べたら電車で18分、徒歩で28分で2キロほどだったのでそこへ行き切符を買うべく歩くことにしました。がっくしきているものの、知らない街新しい景色を見るのは楽しいもので自分なりに楽しみながら本来目指すべきであったクルスカヤ駅へと向かいました。

 

クルスカヤ駅へ着きました。ここから第2回戦が始まることを高瀬は知る由もありませんでした。

やはり都市部では案内表示にはロシア語の下に英語表記があるのである程度助かります。”Ticket for Long-Distance Train”の文字を見つけてすぐにチケットカウンター自体はわかりました。事前に読んだブログではスクリーンショット画面のおかげでロシア語も英語も使わずに購入を済ますことができたと書いてありました。列に並んで自分の番になりました。早速スクリーンショットの画面を見せます。おばちゃんの受付で拡大するように言われます。画面をじっと見たあとにどうやらここでは買えないという風な対応をされました。あれれ、聞いていた話と違うぞ。癖っ毛はロシア語がわからない。おばさんは英語ができないという状況を理解してメモになにやら書いて渡されました。どうやら14番のカウンターに行きなさいということらしく早速14番に向かいました。カウンターの前には”Ticket Master”と書いてありました。これは頼もしそうだぞ。

ただあいにくそれも期待外れに終わってしまいました。自分の順番が来て、始めに”In English?”と聞いてみるとすごく嫌そうな顔をされました。どうやら英語対応は難しいようなので一生懸命ボディランゲージで伝えますが、ロシア語も話せない面倒な外国人観光客に映ったのか聞く耳も見る目も持たぬように首を横に振るだけでした。正直その態度にいらっと来てしまいそのカウンターをあとにしました。なにがTicket Masterだ、全然マスターなんかじゃないじゃないか。そんなことを考えながら最初のカウンターのおばちゃんが手渡してくれた14番と書かれた紙を手の中で静かにくしゃっと握りつぶして必死に堪えました。

深呼吸、深呼吸。

自分をかっこつけたり、美化する意味なんてありません。正直なところ抑えきれずその紙を地面に叩き捨てました。本当に格好悪いと感じています。まだまだ器の小さい男です。結構沸点は低いかもしれません。いや低いか、認めよう。低いです。もっと叩かれて鍛えなきゃ、常々そう感じます。まずレーニングラツキー駅でなかったところから徐々に気力体力は奪われていましたがちょっとがくっときてしまいました。

一息ついて落ち着いてからインフォメーションカウンターに行きました。どうやらその方は英語がわかるようでした。携帯の画面を見せて買いたい旨を伝えると、どのカウンターでも買えるわよと言われました。いやいやいや、最初にあしらわれているんだけどなあなんて心の中で思いながらもありがとうと言い、戦闘力0に近かったですがもう一度一応行ってみるかとチケットカウンターへ。

ここでふと考えたのは、最初の方にチケットマスターの方も決して若いとは言える年齢ではなさそうでした。ただインフォメーションカウンターのお姉さんは英語が話せた。これはともすると若い人なら英語大丈夫なのではないか。必死で38番まであるチケットカウンターの1つ1つを見て若い人を探しました。

いましたいました、若い男性。見つけましたよ。

若い男性の方がやはり仕事も速いのか、結構並んでいましたがこの男性一択です。途中列整備の人なのか、空いている他のカウンターへの移動を促して何人か抜けたりしていましたがこのカウンターに並び続けました。

 

ここで思わぬところからのボディパンチが入ります。それはロシア人の列の並び方。これは本当にめちゃめちゃ面白いです。

どうやら他の人のブログ曰く、順番待ちしに来た時に”一番後ろ今だれ?”とその人が聞きます。するとその時一番遅待ちの人が”私よ”と言います。そしたらその順番待ちしに来た人はどこに行ってもいいのです。列に並ぶ必要はありません。自分の前の順番の人だけを覚えればいいのです。極端な言い方をすれば順番待ちにおいてロシアでは列は何の意味もなしません。で前の人が終わりそうになったらどこからともなくやってきて、端から見ると割り込みのような形で列に並びその前の人が終わるとその人の番。これで恐らくうまく機能しているから面白いところ。誰かがどこからともなく来て並んでも、なんだなんだあという感じ。そのどこからともなく来た人は本当は今初めて来たかもしれないですがその人を皆信用します。日本だったらそんな急に前に入られたら頑固なおやじさんあたりが怒鳴っているでしょう。

こんな並び方があるというのはその他の人の寝台列車購入時のブログ記事を見て話は聞いておりました。ここでその洗礼を受けるとは…。ただなにも発さずにおとなしく並んでいたら、癖っ毛の前の今対応している人を指して、”この次は俺だよな?”というような表情をして来るおじさん。いやいやいやずっと並んでいたよ、と思いましたが急いでいた訳ではないのでまあ譲りました。ロシア的には譲るもなにもそれが正しかったのかもしれません。それ以降は絶対にどこからともなくやってきても譲るまいと死守しました。

そんなこともありながらやっと来た順番。癖っ毛の読み通りその男性は英語がわかりました。幾分かスムーズにことが進みました。シベリア鉄道でウラジオストク乗車時で本当にすぐ発車の時に荷物用の切符の提示を指示されあたふたなんてこともありました。パベルさんからも一緒に自転車用に荷物切符も買うように言われておりました。自転車を運びたい旨も伝わりました。自転車用はまた別の23番カウンターに行くよう言われました。とりあえずお金も払って無事に自分の券は発行されました。

ふぅ、と一息つきました。が...。本当に不思議なんですがここでなぜだか気づいてしまった大きな大きな間違い…。

10月24日0時発列車の切符を購入していたのです。ちょうど切符を買ったのが23日の午後2時くらいでしょうか。つまりあと10時間後に発車する電車です。あれれれれ、こりゃまいった。

25日水曜日の午前中にサンクトペテルブルクに入りたい。本来であれば25日の0時前後発の列車を買わなければいけないのになにを勘違いしていたのか…。恐らく24日火曜日パベルさんの家を出てその夜の電車に乗って行くのでそれで、24日発24日発とオンラインサイトで列車を検索する時に24日の夜指定で検索をしていたようです。スクリーンショットの画面を見ましたがこれは完全に癖っ毛のミスでした。

もうここでは白目状態です。自分自身のミスですから怒りとかではなく、ただただ放心状態。なんでなんだ、と自分にとことん呆れ果てました。

Return for Ticket というカウンターがあったので返金ができるのかなあとそこに行ってみました。ただあいにくのおばちゃんカウンターで英語はできません。癖っ毛もロシア語ができません。間違って購入してしまったことや交換したいこと、全然伝わっている気がしませんでした。英語を話し始めるとお手上げ状態という感じでなぜだかパスポートとチケットを隣のカウンターへ渡されました。隣で対応するからという感じでした。でそのおばちゃんは休憩時間になったらしく消えてしまいました。この休憩時間に関しては本当にきっちりしている点は余裕ない時や急いでる時は少々いらっと来てしまいます。

隣は荷物用のチケットカウンターで、恐らく自分のチケットの詳細欄やらよくわかりませんがチケット購入時に自転車を乗せるので荷物用のチケットの購入の話もしていたのでそれがそのチケットに表記されていて、荷物用のチケットを買いたい乗客だと思われたのでしょうか。結構隣のカウンターも並んでいました。先ほどと同じようにまたどこからともなく次は私ね、と来るおばちゃんが前に並びなんてこともありやっと順番が来ました。とりあえず荷物用チケットカウンターには用がないのでパスポートとチケットを返してくださいと伝え、取り戻しました。

もうこれは先ほどの若い男性のところに行くしかありません。返金はとりあえず置いておいてまず男性のところでチケットを購入し直し、そのあと間違った方のチケットはそのリターンのカウンターで返金すればよいかと思いました。チケットの日時変更という変則的なことではなく、払い戻しだけなら指をすすったりボディランゲージでおばちゃんでもどうにでもなりそうかなあ、と思いました。

 

男性のところに行く前にまずはまた改めて列車と席を決め直さなければなりません。オンラインチケットサイトに飛んで見てみます。モスクワと一括りにされていますが注意しなければなりません。このクルスカヤ駅に加えいくつかの駅から出ているみたいですが、今クルスカヤ駅にいますのでクルスカヤのしか購入できません。もうこの時点でどんなに安かったり、時間帯が良くても他の駅に行く体力は完全にありませんでした。クルスカヤ駅のが何個かあって助かりました。チケットのためにまた別の駅へ移動ということは避けられました。

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10月25日(水)クルスカヤ02:00発で11時にサンクトペテルブルクに着く列車がありました。0時発予定だったので幾分か夜中の発車で到着も遅くなってしまいましたが今ある選択肢の中ではこれが最適だと決めました。座席に関しても三等車でトイレ付近で最安値が残っていました。

早速スクリーンショットを撮り、先ほどの男性カウンターへ向かいました。男性も癖っ毛が購入日時を間違えたことを理解したようでした。今度は改めてペンで指し示しながら一緒に出発日時などをしっかり確認しました。そしたら恐らくこいつはできないやつとばれたのか、自転車のチケットも男性カウンターさんがそこで一緒にやってくれました。後ろで並んでいる人には時間をかけてしまい本当に申し訳ない思いでしたが助かりました。

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はあ、助かった助かった…本当になんとかなんとかサンクトペテルブルク行きのチケットを手に入れました…。正直これが終わった直後は何もする気が起きませんでした。チケットの後はクレムリンに行く予定でしたがどうしようかななんて放心状態。ベンチも見当たらず駅構内の隅っこの地べたにしばらく座って長い長いひと息をついていました。

 

自転車って案外地図があればどこの国でも自分でどうにでもなります。ただ公共交通機関ではどうにもできません。反対列車に乗ったらどんなに戻りたくてもしばらく揺られなければならない。異国の地の公共交通機関これは、癖っ毛にとって曲者でした。この1日は自転車はパベルさんの家に置いて来ておりました。家から全てバス、地下鉄と1人で公共交通機関です。人様の国にお邪魔している立場は承知しておりますが、英語表記も満足になく、英語を話せる人は全然いないこれは正直結構体力気力ももっていかれます。当然といえば当然ですが一切英語を使おうや聞こうという態度はなく冷静な表情で一貫してロシア語で対応してくる点も結構精神的にきます。本当に自分も含め日本人は相手が外国人だと例え日本でも必死に片言でさえ英語を使おうとしたり、相手の言うことを聞き取ろうとするから面白いです。これに関しては日本が特有でこのロシアの方たちの対応が一般的であろうとは思います。ただ余裕ない時にロシア語で冷静に対応されると少々いらっときてしまいます。ロシアに来ることが決まっていながら少しもロシア語を学ばなかったのは完全にこちらの至らないところではあります。

それを踏まえた上でもまだまだ観光には厳しいかなあと思います。パベルさんに教えてもらったり、一緒に乗る中で公共交通機関も慣れましたが本当に1人ではどうだっか。インスタ映えもする綺麗な街並みに、人は温かく、食べ物も美味しいです。がこの言語的な面のために強くモスクワを観光として勧めることはできません。覚悟を決めてもらう必要がありそうです。メンタルが強い方やまたそういう厳しい点も含めて楽しめる方でないと、いい人や街ではあるかもしれないがモスクワ嫌い嫌い、ロシア嫌い嫌いで日本に帰ってしまうことになりそうでそれは残念に思います。ポジティブキャンペーンばかりしていても意味がありません。現実問題として個人的にはそのように感じます。でも観光旅行で複数人で来るのであればこの苛々や困難共有したりすることで幾分か落ち着けて問題ないのかなあとも思いますがどうだろうなあ。ひとり旅はちょいと厳しそうかなあ。

 

そんなことを考えながらバックパッカーって本当にすごいなあ、って思ったりしていました。自転車なんかただ走ってるだけで体力あれば誰でもできるけどバックパッカーはまた別の精神的な面で気力やら相当大変だろうなあと感じました。

 

このチケットの後クレムリンの観光とビーフストロガノフとペリメニのお話があるのですがチケットの話で7000字行ってしまいました。また後日この日の夕方以降と最後のパベルさん家での夜の話はしようと思います。

気力体力疲れていたこともあり、写真は逐一撮る余裕はなくこのチケットの話では文字ばかりの記事となり申し訳ないございません。癖っ毛の旅のリアルを一緒に楽しんでいただければと思います。

 

ではでは一旦この辺で。

お読みいただきありがとうございました。

 

歳の数だけ東欧・南欧諸国1万キロ自転車旅第9走:モスクワ散走。

 

10月22日(日)

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今寝泊まりさせてもらっているパベルさん家のお部屋からです。この日は良い朝でした。こんなに晴れることは珍しいように思います。ここ何日かはどんより曇りでたまに日中晴れ間もあるという感じでした。皆さんご存知の通り昨日は夜6時から寝ていたのでばっちし早朝起床でした。もうこの日は部屋に無駄にいてたまるかとすぐ部屋を出ました。するとオペラは忘れ去られましたがさすがに友人の方が一緒にサイクリングをして街を案内してくださるというのは覚えていたようで、彼女に連絡したよと。予定通り動けそうでよかったです。ただまだ返事がなく日曜日なので朝起きるのも遅いだろうとのことでした。大丈夫かなあ。

この日は日曜で家族でお出かけするのだか鍵を渡されました。これで近くのスーパーなどへも食料調達にいけそうです。昨日から炒め物をつまんだ以外なにも飲み食いしていないのでよかったです…。皆さんが家を出てしばらくしてスーパーに買い出しに行きました。

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こんな漫画みたいな大きな三角形のチーズも100円しません。しつこいですが癖っ毛にとってはスーパーはテーマパークです。しばらく散策して楽しんだあとは朝食とお昼は外に出ているであろうし夕食を滞在分購入しました。黒パンもありましたが普通の白パンの方が安かったです。昔は黒パンは庶民が食べるもので白パンが高級なものとされていたようですが今は異なるようです。ここは出費を抑えていこうと白パンにしました。でもこれでセールというのもありますが20円です。助かります。

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十分に1回4切れほど食べても3.4食分はあります。シベリア鉄道用に買ったジャムも中途半端に残っているのでちょうどいいです。あとは1食12円のヌードルをいくつか買いました。それに日中お腹が空いた時ようにビスケットとビタミン用にほんの気持ちでトマトジュースを買いました。これ全部で200円ほどだったので大満足です。

早速家に戻り朝食を取りました。あとは水道水もフィルターがあるので飲めるよということでした。案内をしてくれる予定のアナスタシアさんからは全然音沙汰なく不安でしたが、後片付けやらブログを書いていたらやっと11時くらいに連絡が来ました。13時にキエフスキー駅での待ち合わせとなりました。

 

さあここで少々壁が立ちはだかる。今まで都市部までパベルさんにくっついて移動していました。もう皆さんお出かけなさってます。そう、自分1人でキエフスキー駅まで行かなくてはなりません。

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グーグルの地図を見て最寄りの郊外電車駅まで自転車で行きます。チケットを買いたかったのですがロシア語…。この発券機では下車駅を選び、表示された金額を投入します。文字入力で記号を入れるだけなので試してみましたがなぜだかうまく行かず目的地が出てこない。(別の日に気づきましたが、右下のEnを押せば英語になります。ちょっと焦っていて見落として勝手に1人苦労していました。)ただ口頭によるチケット窓口もあるのでそちらで購入しました。ただオウムのように待ち合わせ駅であるキエフスキーをくり返していました。ロシアで助かるのは発音はカタカナ発音でも通じることが多いです。ピロシキもこの地名も特に意識せずとも通じます。やはり英語はカタカナ英語だと厳しい部分もありますがそこはロシアの場合なんとかなります。

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本当に公共交通機関の料金はロシア安いです。17kmの距離が70円程です。地元の路線では同じ距離だと250円くらいします。無事切符を手に入れて改札を通りました。そういえば地下鉄や街のミニバス、バス、トロリーバスは全てSuicaのような共通電子カードで乗車できますがこの郊外電車だけは毎回切符の購入が必要になります。運営している会社が異なることはなさそうです。地下鉄やバスは運賃が一律ですが郊外電車は距離によって変わってきます。恐らくそのICタッチのシステムが1つの料金にしか対応していないのではないかと思います。乗車するときにしかタッチしないので、下車駅によって料金が変わる郊外電車はロシアのシステムでは都合が悪いのでしょう。この紙がレシート兼切符となります。バーコードを改札でかざし通ります。

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改札を通ってもまだまだ油断なりません。どのホームの電車がキエフスキーに行くのか。とりあえず近くにいたスタッフさんに聞いてみます。またオウムのようにキエフスキーを繰り返す。とりあえず階段が1.2番ホームと3.4番ホームで別れていましたが1.2番ホームに絞れました。さて次は1番か2番か。改札前の電光掲示板では12:14にモスクワ方面行きがありました。その電車をこのロシア語の案内板から探しました。でもさすがに何日かいるとモスクワのキリル文字は書けはしませんがなんとなく読めるようになってきます。どうやら2番ホームからのようです。郊外電車ですから反対方向に行ったら大変です。本数も多くはなく遠くへ飛ばされてしまいます。

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しばらくするとそれらしき電車が来ました。電車が来た方向にこれから行く方向間違いなさそうです。ここからはキエフスキー駅までは乗り換えもなく1本です。こんな感じで乗せられます。もちろんホームドアがこちら側の場合は自転車を動かして人の乗り降りの邪魔にならないようにします。

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20分もすると目的地に着きました。ひと安心です。13時の集合前に着くことができました。ちょうどお昼の時間で待ち合わせまで時間があるのでシベリア鉄道振りのピロシキです。やっと見つけられました。

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 ロシア語が話せないので味も特定できません。そんな中一番定番だけどやっぱりおいしい挽き肉とネギに当たった時は嬉しいですね。今回は挽き肉でした。あと手渡す時にレンジで温めてから渡してくれるので温かい状態で食べることができてよりおいしいです。日本でピロシキというと揚げていますがロシアでは揚げずに焼くのが基本のようです。そのため胃もたれも特になくぱくぱくいくつも食べられてしまいます。ピロシキ片手にアナスタシアさんを待っていました。

ただここでアナスタシアさんから遅刻するとの連絡が入り、別の改札を出て外にある露店でまた購入して食べながら待ちぼうけ。幸せな時間でした。形もかわいいし大きいし味も満足です。こちらのお店もレンジで温めてくれたのでこれがどうやら基本のようです。これはピロシキではないような気がしますがどうなんでしょう。色々形も味もあって勝手に全部でピロシキで一括りにしてしまっていますがどうだろう。正直パン全般をピロシキと言っているのか定義が定かではないです。本当に見ているだけで癒されます。

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結局アナスタシアさんが来たのが1時半過ぎでした。そこから自転車を乗せて公園に向かいました。事前にどこ行きたいか聞かれていました。美術館やら建造物に自然など。都会の喧騒になんとなく疲れていたので自然系でとお願いしました。張り切って走るのを期待していましたがどうやらそんなにロシアの方は走らないようです。本当にランニングと同じような感じでエキササイズ感覚なのでしょう、電車でどこか移動してその周辺を走るというのが一般的のようです。最低でも自転車に乗る時は50キロ走りたい身としては物足りなさはある気がしましたがお口チャックです。恐らくロシアの場合は車の交通量や自転車道が整備されてないので街中や道路を走るのは難しいのでしょう。

 

バスなんかを使いながら公園を3つほど渡り歩いて園内を走っていました。正直これと言ったハイライトがある訳ではありませんでしたが、いい気分転換にはなりました。また都市部や街では人々の生活を見ることができませんでしたが、日曜日ということもあり多くの人々が公園にいて彼らがなにをしているのか垣間見ることができたのはよかったです。親子で落ち葉をかけあって遊んだり、園内を自転車やランニングして運動していたり。園内に多く温かいティーやコーヒーを飲める自動販売機があるのも寒い国ロシアの特徴でしょうか。日本でも温かい缶コーヒーが飲める自動販売機はなかなかない印象があります。ティーを取り扱っているのは1回も見たことがありません。

この日の朝は近所の車に霜が降りていたので気になったので気温を見ていると朝9時というのもありますがマイナス2度でした。パベルさんの家にいても感じますが非常にティーやコーヒーは日本より日常的なのかなと思います。アナスタシアさんも何度も寒くない?ティーやコーヒーはいる?と聞いて来ました。1日中大丈夫だよ、と言っていたらあなたが明日風邪をひいていなかったら私を殺していいわ、なんて言ってきていました。恐らく癖っ毛に聞いていましたが本人が一番欲しかったのかもしれませんね。途中でなんとなく気づいて欲しかったら買っていいよ、と言いました。身体を温めるためにサイクリング中と最後お別れしたあとにもカフェでコーヒーをもらっていました。まあ飲んでもすぐ冷えるしなあと思い、基本朝買った水で水分補給していたらその様子をありえない、と目を見開いて見ていました。

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公園内にはソビエト時代の近隣支配国との友好の印とそれぞれの国の大きなパビリオンやソビエト含み各国を象徴する金の像16体が立った噴水広場などまたなにか面白い建造物がありました。レーニン像を見た時の反応を見るに恐らくレーニンに対してはロシアの方々は好意的なようです。なんとなく歴史に詳しくはありませんが単にソビエト連邦の指導者として悪名高き人物だと認識していました。自分の勉強不足をひしひしと感じます。それに関しては意外だったので本当にこう旅をしていると歴史を学ぶ意欲を掻き立てられます。歴史事項がただの教科書の中で起こっていることや試験のためものや過去のものではなく、実際に現代へ連続的につながっているものだと認識させられます。

ただここもやはりワールドカップに向けてか工事中で色々カバーがかけられていたり、路面が悪かったりタイミングが悪かったりしました。

 

途中午後5時には街の大きくないロシア正教会に行きました。ちょうど日曜日のためか、式のようなものをやっていました。写真は撮れませんでしたがロシア正教会独特のアイコン画や壁画の中美しい歌声。神父さんと祈りを捧げる信者の方と。さすがに写真や動画は雰囲気に圧倒されて撮れませんでしたがとても厳格な雰囲気で貴重なものを見させていただきました。この正教会の雰囲気の中の美しい歌声で思わず、圧倒されたのかなぜだかうるっときてしまいました。インドネシアで熱心なイスラム教徒を見たときと同じように、日々祈りもなく過ごしている自分がどうしようもない存在のように感じました。本当に宗教とは面白い世界だなあと感じます。

 

そのあとは癖っ毛が気になっていたヴェルサニージュ市場に行きましたが夜で皆店仕舞いをしている時でした。でもマトリョーシカやロシア帽などがずらっと並び特に観光客のためのお土産市場で特に面白いとも感じませんでした。別に時間を設けずについでがてらで行けたのはよかったです。

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近くの駅から電車に乗り朝集合した駅でアナスタシアさんとはお別れしました。こんな感じで完全に自転車ラックが設置されています。すべての車両ということではありません。この自転車ラックがある車両には電車の外装で自転車マークがついているのでわかりやすいです。そういえばアナスタシアさんは日本にも来たことがあるということでしたが、目的は日本のロックアーティストのアニバーサリーライブでした。全くロックの方面はわかりません。ディーエングレイなどいくつか好きなアーティストなどを挙げられていましたが、日本人なのに知らないの、という感じでした。申し訳なかったです。その中にはモスクワでライブをやったアーティストもいるみたいでした。自分の全く知らない日本がロシアで生きているのがなんだか不思議でたまりませんでした。

 

別れたあと帰りの電車はグーグルにお世話になりました。朝の小さな駅とは異なり、いくつもホームがあるのでどの電車が自分の目的地に行くのやら全くわかりかねていました。ただ今のグーグルのルート検索はすごいですね、発車時間や何行きの電車に乗るのかを教えてくれました。それと電光掲示板を見て照らし合わせてどうやら次の1番ホームの電車らしいと乗り込みました。ただ帰りは終着駅で降りるわけではないので自分で降りなければいけません。アナウンスも聞こえないし、端っこに乗ってしまったためか各駅に停車してもホームでそこが何駅か示すものも見当たらない。とりあえず最初の駅から5つ目の駅ということは途中からですが把握して、そろそろかなというところで開いたドアから顔を出してホームの様子を見ました。暗い中ですがよし、これは見覚えがあるな。ここに違いないと思い切って下車しました。改札の方へ歩いて行って途中駅名を示すものを見たら見事目的の駅でした。間一髪です。

 

そんなでなんとかパベルさんの家に帰宅できた次第です。本当はこの日購入する予定でしたがもうお別れした時間も遅く疲れもあったのでサンクトペテルブルク行きのチケットは次の日に買うことにしました。1人で無事帰るのだろうか、さてさて。

 

ではでは失礼いたします。

歳の数だけ東欧・南欧諸国1万キロ自転車旅第8走:モスクワの郊外で人様の猫に癒されて。

 

10月21日(土)

この日は1日パベルさんの家に引きこもっていました。前回のブログで書いたように色々頭を悩ませていて、1回気持ちの整理がてら書きおこさないとと思っていました。この日は朝早く起きて、7時にパベルさんが仕事に行くのでついて行くか?と言われましたがここでついて行ってもまた街にも訳も分からず放り出されてまた行く当てもなく”観光客”になりさまよって無駄な時間を過ごしそうでした。それよりかは今自分にはブログを書いて1回整理することが必要だと思いました。世界遺産のコローメンスコエの昇天教会も行きたかったですが曇りではいまいちですし、なんとなく気疲れなのか疲れていたので家でゆっくりすることにしました。

この日もご飯の準備まだかなあ、と部屋に朝引きこもっていました。結局なにも起きず皆さん出かけて行き、家で1人になりました。ご飯に関しては癖っ毛の過ちでした。ウォームシャワーアプリ内でパベルさんの家が提供するサービスに食事は含まれていませんでした。先日のアレックスさんは含まれていました。しっかりと確認すべきでした。ホストによってラウンドリーやキッチンまたメンテナンスなど項目がありそれぞれホストによって選択され提供できるものが異なります。着いた当日は恐らくサービスとしてではなく一応ゲストを招いたということでティーやら準備してくれたのでしょう。それを当然このあともあるものだと受け取ってしまい完全にこちらの勘違いでした。

それにまだ気づかなかった癖っ毛は鍵も渡されていないので食料調達もできません。どうやって生き延びればいいのか、結構弱っていました。勝手に冷蔵庫漁ったりする訳にはもちろんいきません。結局パベルさんが作っていた炒め物は、昨晩足りなかったらおかわりしていいよと言っていたので食べていいのだろうとフライパンからつまんでしのぎました。ただつまんだともバレないように少しだけ。ただ飲み物に関してはなにも手出しできず、水道も飲めるのか分からずこの日は1日も飲まずに過ごしました。この日口に入れたのはそのジャガイモと玉ねぎの炒め物だけ…。笑

 

結構ストレスでした。川の流れのように身をまかせていこうと先日決めたばかりでしたが、このままでは川の流れすらなく時間の無駄だと感じました。ちょうどなぜだか自分のツイッターのタイムラインには、雑用を任せるとか家事代行とか”時間をお金で買う”というテーマが盛り上がっていました。時間はお金よりも価値がある、戻ってこないんだ。そんなことが溢れていて、癖っ毛の胸に突き刺さりがっくりしていました。サンクトペテルブルクまで走っておけばよかった、心底そのように後悔しておりました。やらなかった後悔、一番嫌なやつです。

ボリショイ劇場に興味を示すとオペラの友人がいるから土曜日の夜に行こうと言っていましたが、この昼からまあそんな予感はしていましたが結局なにもありませんでした。忘れているのか、なんなのか。サンクトペテルブルクまで走るか電車で行くのか、先日決める前にそのオペラの話もしていたので正直そういう紹介や通常ではできないような体験もできると期待してモスクワに残った部分が大いにあるので余計落ち込みました。なんでモスクワで昼過ぎまでだらだらして結局一日中家にいるなんて…。

 

やはり受動的なのは何事もいけませんね。悪く聞こえるかもしれませんが自分の好きに動いて自分のやりたいことの為にうまく他人を利用していくくらいでないといけないようです。日曜日も友人が一緒にサイクリングして街を案内してくれると言っていますがどうなるかわかりません。

川の流れのように身をゆだねると言ったばかりなのに早くも路線変更とぶれぶれで面目ないです。これからはもう振れずにゴリゴリいきます。

幹線道路だとか観光名所がないとか全く関係ない。ギリシャ経由してチェコまで歳の数23カ国地球4分の1週分1万キロを全力で自転車のみで突っ走る。決めました。観光名所とか本当に興味がない。知らぬ街の知らぬ人たちがどう過ごしているのか見て、なにを思っているんだろうと考えているだけで幸せでわくわくする。モスクワからサンクトペテルブルク間の現地の方々には申し訳ない。振れてしまってモスクワで観光客になってしまったせいでお会いすることができなかった。今からでもサンクトペテルブルクまで走りたいですが、ただ物理的にビザが切れるまでにエストニアに入れそうになく諦めざるを得ません。自分を責めるしかありません。本当に悔しいけどいつまでもうだうだしていられないのでこれを糧にして次に向かっていかなければ。

 

そんなことを決心して午後はモスクワでの予定といつサンクトペテルブルクに向かうのかを考えておりました。

まずはやりたいことややることを考えるのも重要ですがやらないことの選択もそれと同等あるいはそれ以上に大切です。これは日常でも言えることだと思います。いろいろとモスクワの観光については紹介されたり、インターネットで調べたりしていましたがとても周り切れる量ではありません。西日本を回る時は都道府県庁という目標と卒業式までに戻らなければいけないという制限があったのでうまく取捨選択ができていました。こっちに来てからはせっかくの海外なのだから勿体無い、全部回りたいという気持ちや3月の入社式までに帰国すればいいもしくはお金が尽きたら帰国するというざっくりとした期間で制限がないためにうまく決めきれずにだらだらしてしまいました。

 

モスクワでやらないことを決めた上でやることが選択できました。

①ビーフストロガノフとペニメリを食べる②クレムリン内部観光③ヴェルサニージュ市場④サンクトペテルブルク行きのチケットの購入

これが決められたおかげでいつサンクトペテルブルクに向けてモスクワを出るかも決まりました。10月25日深夜便で出て25日午前中に向かう寝台列車に乗ろうと考えています。この日が土曜日なので、パベルさんが言う通り本当に日曜日友人の方が案内してくれたとして日曜日が潰れて、月曜日にクレムリンとヴェルサニージュ市場へ行って火曜日に発車駅の近くにお目当のレストランがあるのでそこでビーフストロガノフとペニメリが食べれればいいなあと。チケットは空いてる時に買おうという感じです。これでなんとかいけそうです。

 

でこんなことを決めてあとはブログを書いていました。正直この土曜日に前回の記事を書いたのですが結構イライラしていたのでその記事は中立的な立場で基本意識していますが個人的な感情が漏れてしまっていると思います。まだまだ私情をうまくコントロールできません。お読みいただいた方で不快になった方いたら申し訳ございません。前回の記事の問題のたいていは癖っ毛の勘違いで解決しているので今はだいぶ落ち着いていると思います。

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人様の猫ちゃんに勝手に癒されておりました。本当にこの日は猫ちゃんだけが救いでした。可愛かったなあ。

 

そんなでブログも書いたあとは6時過ぎに寝てしまいました。恐らく自分ではあまり気づいたり意識してないですが海外でやはり疲れているのだと思います。考え方の違いだったり、言語面での苦労だったり例えば1つチョコレートをスーパーで買うにしてもやはり体力やら気力を使ってしまっているのでしょう。なに言っているかわからずとりあえずレジに表示された金額を出して、レジ袋欲しいと指差しでやると、どうやら最初に聞いたじゃないのよという感じでまたなにやら言われる。今では日本でも多くそうですがこちらでもレジ袋もただではありません。次にレジ袋の値段を言われても案の定わからずレジさんの顔を伺いながら1枚1枚コインを財布から出しその額になったらしいところでレジさんがオッケーサインを出してようやくお買い物が終了です。例えばの話で実際チョコレート1つくらいではレジ袋は使いませんがこのように買い物ひとつでもだいぶ体力や気力を使います。

 あとは毎日パベルさんの仕事終わりを待たなくてはならず、結局23時くらいの帰宅が続いています。昼間の観光もスタートが遅いために十分できず不満がたまっているのでしょう。体力的にも精神的にもだいぶ削られているのでしょうか。この日はコンタクトもつけたまま寝ていて、どうやらパベルさんご一家が外から帰ってきて騒がしくなって1回起きました。時計を見たら23時だったかな。とりあえずコンタクトだけ取ってまたお布団に入りました。

 

この日は本当に1日ひきこもっていたので特に話も写真もなく短い記事となりました。

さてさて明日はご友人さんが街を案内してくれるのやら...。

 

本日もお読みいただきありがとうございました。失礼いたします。

歳の数だけ東欧・南欧諸国を巡る1万キロ自転車旅第7走:生命を感じない街モスクワ。

 

すっかりこの日も観光客やってきました。

朝から欧米と一括りにしていいのか、恐らく個人のプライベートを守るこちらの振る舞いに少し頭を抱えておりました。どこかで読んだことがありました。欧米の観光客だか留学生で日本へ来たときにどこどこへ連れて行ってあげるだのそういう感じで声かけをしていたのがその当人にとってはストレスになっていたというような話です。プライベートの時間を確保したい欧米的な習慣とゲストをもてなしたり、1人にさせては可哀想や寂しいだろうという日本的な振る舞いの間に生じた問題についてでした。

逆にプライベートを守られ過ぎて苦しんでおります。だいたい朝食ができればご飯の準備ができました、と声をかけにくる日本。パベルさんのお宅では一切ありません。恐らく自分で好きな時に起きて、そして初めて朝食が準備されるというような感じなのでしょうか。今起きたら迷惑かなあ、と正直朝から動きたかった自分ではありますが、12時くらいまで部屋で待機してさすがに昼過ぎまで部屋は息苦しくなりさすがに迷惑ではないであろうとリビングへ行きました。トイレも我慢しきれなかったので。パベルさんがおりましたが、パベルさん側はどのように感じたんでしょう。お昼過ぎまで寝過ぎだろう。これが日本人なのか。と驚いたのでしょうか。

席に着くと朝食というのか昼食というのかお食事が出てきました。やはり起きてリビングに着くのがこちらの振る舞いなのか。日本人的な癖っ毛としては他所者が勝手に起きて、リビングに自ら座ったら迷惑になるではと思ってしまう。住むわけではなく完全にゲストとホストの関係です。また親しい友達の家に泊まりに行くことはありますが、他人や本当に初対面の方ましてや海外となると初めてでどうしたらよいものか。

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そんなで早速パベル家初めての朝から悩んでおりましたが癖っ毛にはたまらない朝食でおいしくいただきました。なにがたまらないか、それはそこにロシアがあったからです。ロシアでは定番の黒パン。酸味が強く癖があります。初めて前日の夜に口にした時にはなんだこのパンは、と衝撃を受けました。硬いし独特の風味がある。最初は味も好きではないと思いましたが段々と癖になってくる。すぐに食事後調べてみるとやはりこちらでは一般的なようでした。ハイジでもこの黒パンを噛み切れずに苦労するなんてシーンもあるみたいです。ただこの酸味がより旨味を引き立てて、前日添えられていたチキンとの相性は最高でした。

この朝食でも見事にクリームチーズとの相性も抜群。あと乳製品大国のロシアではスメタナやヨーグルトとこの黒パンを食べるのが一般的、ヨーグルトの種類もたくさん。今回はチョコ味のヨーグルトを黒パンといただきました。ヨーグルトとパンと到底日本では想像もしておりませんでしたがいい感じです。いやあ本当に癖になる黒パン。恐らく旅の時には大量に買って、毎朝の朝食と途中のエネルギー補給にしますね、これは。

 

しばらくして1時くらいに家を出ました。パベルさんにくっ付いてまた仕事場に行き、そこからは仕事が終わるまで街観光です。この日はモスクワ市内の仕事場まで車ではなく公共交通機関での移動でした。

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ミニバスを使いモスクワ大学横の駅まで、そこから地下鉄で仕事場の最寄駅まで行きます。ミニバスも地下鉄も日本のスイカと同様に電子カードでタッチするだけで便利です。また料金も一律のため乗車する際や改札を通る時にタッチするだけで下車する際は特になにもなくそのまま降ります。

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荷物置きもなく、座席も硬くシンプルなデザインで簡素でした。恐らくこれから行く機会があると思いますが駅も美術館のようで観光客が駅構内の外装目当てで乗車するほどです。料金も一律なのでうまく乗り換えて、いくつも駅を撮りに渡るそうです。それからすると電車それ自体は寂しく地下鉄で暗いのもありどんよりした雰囲気でした。

 

仕事場に着いてまた自転車と一緒に街へ繰り出しました。

クレムリンの中の修道院に行きたいのですがこの時すでに3時過ぎで...これから行って回るには閉まるのが6時で時間に追われながらになるのでこの日はパスしました。行くあてもなくただモスクワ川沿いを走っていました。

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なんだかなあ、街にあるお店は東京でもあるようなものばかり。グローバル化かあ、なんて考え込んでおりました。マクドナルドにスタバ、ケンタッキーにシェイクシャック。恐らく来年18年のワールドカップに向けてなのか、都市開発がどんどん進んでいます。屋台や昔ながらのお店はなかなか見当たらず途方に暮れていました。でも元々モスクワにはないのかなあ。モスクワの現代若者文化を知るという点ではおしゃれなカフェで食事を済ませてもいいのですがなんだか気が向きません。ここでハンバーガーとかチキン食べてもなあ。モスクワ川沿いのゴーリキー公園内の露店もかわいいアイスやホットドッグにケバブ屋さん。なんか違うんだよなあ。でも勝手に癖っ毛がモスクワに理想を押しつけているだけかとも思います。

 

街並みは確かにきれいですが生活感がないというか、人の生命を街から感じません。日本の居酒屋のようになにやら飲んで騒いでる声が聞こえるわけでも酔っ払いを見るわけでもない。インドネシアのようにアンコットの客引きの声や鳴り止まないクラクションの音はありません。モスクワもかなりの車の交通量は多いですが運転手が皆寛容か運転が上手いのかクラクションは全く聞きません。冬で寒いため外では乾かさないのか、洗濯物も一切見当たりません。

モスクワやサンクトペテルブルクの街を地図で見れば一目瞭然ですが街がきっちりと整理されていて統一されています。それは地図で道路が真っ直ぐ放射線状に地方に広がっているのもそうですが建造物にもその統一感は出てきます。全て同じデザイナーが担当しているのか、一定の決まりがあるのか。建物の外装や少し離れたオフィス街以外高さも同じです。

最近こそ例えば有名な赤い公園すぐそばに1ヶ月前にできた新しい公園はロシア人ではなくニューヨークのデザイナーがプロジェクトに関わったらしく、それは確かに現代的な建築物で他のモスクワの建造物や街並みとは異なっています。

人間は不完全な生き物で完全なものを見るとこれは嫉妬なのか、違和感また嫌悪感さえ感じるのでしょうか。これは単なる負け惜しみか。正直、果物などを売っている小さな屋台があり、裏通りの建物の窓が割られていたり廃れていたウラジオストクの方がモスクワより個人的には好みで落ち着くなあと。ウラジオストクでは生活や人が生きているのを垣間見ることができました。まあモスクワの場合パベルさんもそうですが郊外住むのが基本なので生活感ないのは当たり前と言えば当たり前かもしれませんが。

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街は確かに綺麗なんですけどねえ。恐らくデートや旅行にはもってこいだしお勧めはしますね。お洒落なカフェやバーにこの街並みです。ただ旅人にとってはあまり魅力的でないように思います。物価も日本と同じような感じでまた街が整い過ぎていて人によっては居心地が悪いかもしれません。やはり人間もそうですがどこか弱い部分があったり、それを見せた方が憎めないというそれを含めとても愛らしく見えてきます。が、街からは弱さや不完全さはまだ見当たりません。ソビエトやロシアとしてのプライドの高さのようなものが街にも現れている気がします。ロシア正教会の金が街の至る所で目に入ります。この金が日常に転がっているのがすごい違和感でそれもありなにか現実世界ではないような不思議な感覚になります。それをきれいと感じるか、人それぞれの好みです。

旅人癖っ毛がこの日モスクワで一番感動したのは乳製品大国ロシアのスーパーマーケットです。モスクワは物価が高く、1人で贅沢するのもなあ、と朝の黒パン以降なにも食べていませんでした。でも気分もすっきりせずお腹減ってきたのでさすがになにか食べるかとスーパーへ入りました。

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モスクワ都市部の小さなスーパーで乳製品がこの量です。飲むヨーグルトとビスケットを買ってなんとかお腹を満たしました。こちらでは飲むヨーグルトにもちゃんと別の名称があります。ロシア人からしたらヨーグルトとは違うのでしょう。そのくらい生活に根ざしているのでしょう。日本人がヨーグルトと飲むヨーグルトと言うのは、ラーメンと油そばがありますが、外国人にそれをラーメンと汁なしラーメンと言われている感覚でしょうか。また発酵濃度か色々パーセンテージがあります。今回は2.5%のものを飲みましたがどろっとしていて面白かったです。一気に飲むとのどに詰まりそうな程です。実際に癖っ毛もおいしくておいしくて一気に飲んだらむせました。1%や3.2%のものなどとの違いなど、ここら辺の乳製品はまだロシアを抜けてエストニアに入るまで1週間あるのでお財布の様子を見ながら色々試して行きたいです。

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1日のハイライトがスーパーマーケットって…でも楽しみも人それぞれですからね…いいでしょう。笑観光で来ているならモスクワは本当にカフェが多いし、そこら辺でお洒落にティーでも飲んだりハンバーガー食べたりしたいですがそれはいつかまた観光で来るときにしましょう。昔からあるロシア料理を食べれる地元民もよく行くらしいファミリーレストランだったり、学生や独身男性に人気のペリメニの有名なファーストフード店などもどんどん都市開発なのか閉店しています。少し寂しい気がしております。

 

仕事終わりが遅く連絡が来てパベルさんの元へ戻ったのが9時半とかでそこから今回は郊外電車で帰りました。地下鉄は不可みたいですが郊外電車は自転車をそのまま解体や梱包せずに乗せられます。仕事場から自転車で最寄駅まで行き自転車とともに乗車しました。

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その駅までの途中ではこんな風景を見て癒されました。生命を感じないモスクワで人を感じることができました。おばあちゃんもノリノリでそれを見てなぜだかほっとひと安心した癖っ毛でした。金曜日の夜だったこともあり、アルバート通りでは芸術通りらしくこのようにアーティストさんが色々やっています。スプレーアートに大声を出して小劇場だかやっている方もいました。

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まだまだなにも掴めない、魅惑の街モスクワ。

歳の数だけ東欧・南欧諸国1万キロ自転車旅第7走:ロシアは本当に恐ロシア?

 

無事一昨日19日昼にモスクワに着きました。

モスクワに着き昨日一昨日とばたばたしていました。日本との時差は6時間です。書き始めている今は早朝です。恐らく書き終える頃には日本時間で昼の3時辺りになるかと思われます。

現在滞在させてもらっている家のご主人が今日は早朝出勤で今一緒に出るか?と聞かれましたが気持ちなどの整理がてらブログを書きたいと思いお断りして部屋で落ち着いております。

 本来であるならば今日21日の朝自転車旅の開始のはずでしたがあれ?出発していないの?ということも含めモスクワに到着した19日の話を振り返っていきたいと思います。

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2017年10月11日午前11時過ぎ、シベリア鉄道ウラジオストク発モスクワ着が終点モスクワ・ヤロスラフツキー駅に着いた。

前回のブログを更新した後この駅までの3時間少々気持ちが落ち着かず周りから変な目で見られないように平静を装うのに必死だった。どんどんと高まる気持ち。街並みが変わってくる。トタン屋根からコンクリートの集合住宅や綺麗なレンガ造りの家に変わってくる。家の数、交通量に人の数と町から街へと変わっていくのが車窓からわかった。いよいよ着くんだ。

正直不安の方も大きかった。当時モスクワ市内での2日間はパベルさん家で保障されていたがサンクトペテルブルクまでの家が事前に確保できないし、アプリ上でも数が圧倒的に少ない。野宿になるのかなあ。野宿で良さそうな所あるかなあと車窓から探していたが、よくわからないキリル文字のスプレー缶による落書きがそれを拒否しているようだった。俺らの街だ、他所者が寝るところじゃねえ。って。それに怯えた。この先どうなるのか、無鉄砲もいいところだ。先が見えない漠然とした不安が襲いかかった。

不安と高揚とが交錯してなにか胸のあたりが気持ち悪かった。そしてそれを助長させるように終点が近づき、皆が下車準備をし始めて車内も落ち着きがなくなってきた。落ち着かず早々に下車準備を終えた癖っ毛は、手持ち無沙汰で気持ちを落ち着かせるようにぼーっと窓の外を眺めるしかできなかった。

 終点へ着き、ホームに降り立った。シベリア鉄道での生活が終わった。保障されていた生活が急に手元からすっと離れていった。

 正直物思いにふけっている余裕もなかった。自転車を受け取るべく癖っ毛が乗っていた車掌さんに下車前に持ってきた電子辞書のロシア語辞典を使い作った文で聞いてみた。電子辞書を購入した当時絶対使うことはないだろうと思っていたが不思議なものだ、まさか使う時が来るとは。

 グヂェ ヴィラスィピエート?

 どうやら通じたらしい。ただなにを言っているかはわからない。とりあえず車掌さんが指でさした方向にバッグ類の20kgを抱えて向かった。改札とは逆方向ですれ違う人にじろじろ見られる。シベリア鉄道の長い列車の一番端の車両で大きな荷物をおろしているアジア系の集団を見つけた。あそこが荷物車かな、とせっせと先頭車両まで。一応そこにいた車掌さんにも聞いてみる。

 グヂェ ヴィラスィピエート?

 ただ知らないわよ、そんな顔をされた。おいおいやめてくれと不安になった。彼らは最初の車掌さんとは逆の方向を指差し、戻るように言った。重い荷物で端っこまで来たのに…ため息を一息ついてまたせっせと戻る。遠くから最初の車掌さんが手招きしている。なにやら急いでいる風だ。恐らく車内点検や清掃また車庫に戻るなどあり早く荷物をおろしたいのだろう。とりあえず小走りで向かう。

 結果的に自転車は隣の車両にあった。無駄に10車両分も重い荷物を運んでしまったではないか。やっと全ての荷物が手元へ。その時には乗客は皆改札を出た後だ。ホームは閑散としていた。これらの荷物をとりあえず奥に小さく見える改札まで運ばなければと途方に暮れた。

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ホームへ降りた時は運び屋さんやタクシーのおじさんが沢山いたが、下車客もいなくたった今もうすっかりいない。最悪お金を払ってでもと思ったが自力で運ぶ他ない。

バッグ類を入れた袋は肩がけできるが重過ぎて袋が破けないか不安だし、細い紐が身体に食い込む。ただ後ろにいる先ほどの韓国人と見られる人たちもせっせと家族か皆で協力しながら大量の荷物を運んでるのを見て勝手に勇気づけられる。

 そしたら思いもよらぬところから救いの手が。上の写真にも奇跡的に写っていたが写真左上のロシア人青年が声をかけてくれた。彼とは同じ車両でほんのすこし挨拶をした程度だった。どこから来たの、程度。顔見知りだしそのまま無視して通り過ぎるのもあれなので重い荷物を運びながらも、笑顔でひと声かけた。そしたら彼はほんのすこし英語が話せるのだが、どうやら彼の友達が荷物を取りに来るから一緒に運んでもらおう。ここで待ちなよ、と言ってきた。断る理由はない。お言葉に甘えて一緒にホームで彼の友達を待つことにした。

 しばらくすると彼の友達が来た。久しぶりの再会なのか、男同士の熱い抱擁。いいものを見させてもらった。本当に素敵な光景だった。なにを言っているかはわからないが彼らの素敵な顔を見ているとこっちまで笑顔になった。こいつはロシア語がわかるのか?わかるわけないだろ。じゃあなんで笑っているんだ?そんなことも言われていたかもしれない。

 

日本に伝わる”ロシア”は偏っている印象を受ける。日本でアニメ声優になったロシア人女性。強面の格闘家に悪魔祓い。なんだか小さい頃の影響というのは大きいもので、小学生のころなんかにロシアの悪魔払いやらをテレビで見ていたせいでロシアは癖っ毛にとって得体の知れない奇妙なところでしかなかった。日本に昔からある”ロシアは恐ロシア”なんてダジャレも相まってなんだか漠然と恐怖すら感じていた。

シベリア鉄道車内や停車駅での光景含めこのような彼らの人間的な部分を見られて本当によかったなあと思う。この1週間だけでも大変価値があったのかなあと思う。彼らも同じ人間なんだ、そう思えた。大変失礼極まりないことで当たり前のことだが正直日本にいるだけではこれを認識するこは難しい。何かしらの興味があって積極的に情報を得たり、何かの縁でロシア人の友人ができないと、日本に来るロシアは専らオカルトな悪魔祓いか攻撃的な刺青をした強面の格闘家なんだもの。”ロシアは恐ロシア”を否定するものが一切ない。

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無事に改札まで運び彼らとお別れした。隅っこにスペースを見つけて、一息ついてさっそく作業開始。ペダルからサドル、ハンドルと一から小さなネジを回したりつけたり。国内の電車輪行であればタイヤを外す程度だけどこのダンボールサイズに納めなければいけないのでそうはいかない。

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冷たい風がじりじりと体力を奪う。10月だが最低気温は氷点下を下回る。手も悴まないように頻繁に指先を動かしながら黙々と作業を進める。途中ふと目にしたインドネシアに、勝手に応援されている気になってみたり。

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配送業系のお兄さんに仕事途中らしいが声かけられた。ロシア語だからわからないが、握手を求められた。お兄さんも旅人か自転車好きなのかなあ。初めての作業と寒さで2時間くらいかかってしまった。だいたい作業が終わると駅清掃のおじさんが声をかけてきた。恐らくこの大きなダンボールどうするんだ?ということだろう。これも事前にゴミ箱はどこ?と用意していたロシア語で聞いて場所をざっくり確認する。

自転車の組立が完全に終わり、ダンボールを運んでいたら先ほどのおじさんが来た。どうやら自転車もあるし盗まれるといけないだろうから運ぶということで、持って行ってくれた。ホームの青年に清掃のおじさんのおかげでやっと走り始められる。外の気温とは対照的にロシアの人は温かいではないか。ロシアは恐ロシアはどこへやら。残っていたクッキーをつまみながらまたひと息。

 

余裕がなくて全然周りは見ていなかったがふと街を駅前を見ると結構な人通りだ。シベリア鉄道間の途中駅とは違い完全に街だ。溢れるキリル文字。ひとが足早に歩く。すっかりビジネス街だ。トタン屋根は見当たらない。特徴的な彫刻や形をした建物ばかり。やっとロシアに来たという実感が湧いてきた。日本やインドネシアとは明らかに違うこの街並みに、欧米諸国が初めてなこともあり圧倒された。大した写真じゃないがこの初めての気持ちを忘れまいとiPhoneのカメラのシャッター切った。

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そしてパベルさんとの待ち合わせ場所まで走ろうと大通りにいったがすごい交通量とスピードに圧倒された。5kmの道のりだったが3キロほど歩いて待ち合わせ場所まで向かった。少し人通りが多く車のスピードも速くないところに入ってきてようやく漕ぎ始めた。

指定された場所に近いところまで来たが、高身長で顔立ちの良い白人の美男美女に加えDiorやらエルメスなどのお店が立ち並びすっかり弱ってしまった。こんな前後輪にバッグをつけた旅人仕様の自転車完全に浮いている。なんとか待ち合わせ場所であるパベルさんの作業場について無事に合流できた。

 8時まで仕事でそれまで観光でもして時間を潰すように指示を受けた。でもとりあえず腹ごしらえしなさいと隣のベトナム料理屋さんを勧められた。ただここに来てベトナム料理屋さんはないなあと少し出歩いたがエルメスがあるような通りでどこも癖っ毛にはお洒落過ぎた。やはり白人に対して劣等感のようなものを持っているんだろうなあ。通りの窓からいくつかお店の中を見るが、圧倒されて入れない。こんな髭も生やして、アウトドアな格好で黒髪な黄色人種がと。

お値段も良さそうなお店ばかりだったので、結局すぐ戻ってきて勧められたベトナム料理屋さんに入った。当たり前だが店員さんはロシア人でロシア語対応でメニューもロシア語。いつもは勝手に近くに感じていたベトナムがこの時は遠くに感じた。なんとか指差しで注文を済ませフォーをいただいた。モスクワということもあり物価は高く、700円と日本と変わらなかった。

 パベルさんの作業場に戻り、必要な荷物だけを持って他は置かせてもらい自転車と共に街へ繰り出した。

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近くにはボリショイ劇場があった。バレエやオペラには無知だがロシアを代表する世界的なバレエ・オペラ劇場でこの劇場が所有するボリショイバレエ団は日本でも来日公演を行なっているそう。世界三大バレエ団の1つだそうだ。ここは経験として見ておきたいなあとも思うが、サンクトペテルブルクのマリインスキーバレエとどちらで観るべきなのか全くわからない。モスクワが首都となった今ではこのボリショイバレエの方が名実や規模共に大きくなったのであろうか。

 読売新聞だったかな、昔家で定期購読していた頃年に一度ボリショイサーカス団のチケット招待が来て小学生の頃は毎年の恒例行事となっていて楽しみにしていた。だからボリショイ、という言葉に思わず反応してしまった。サーカスとの繋がりは全くないがボリショイサーカスもやはりロシア人サーカス団だったみたいだ。気づかないところでロシアと関わりがあった。ボリショイ劇場の前で勝手にボリショイサーカス団のことを思い出し幼少期の思い出に浸っていた。ボリショイとは大きいという意味で、文字どおり大きな会場での大迫力のサーカスに純粋に圧倒されていた頃が懐かしく思えた。

 

その後はとりあえず赤い公園にでも行こうと向かった。赤い公園に着く手前の定番グム百貨店裏通りで予期せぬ海外旅行の洗礼を受けた。きらびやかにライトアップされたグム百貨店やロシアの街並みに圧倒されて我を忘れてシャッターを夢中で切っていた。すると大柄な恐らくロシアの伝統衣装かなにかを身にまとった複数の男性に英語で声をかけられた。写真を撮りましょうと、カメラを取り上げられた。気さくに近づいてきて笑顔で悪そうな感じではない。ノーマネー?と聞いてお金は取らないということらしいので笑顔で一緒に写真を撮った。

観光客の思い出づくりのためにこのように伝統衣装を身にまとって一緒に写真を撮って回っている素敵な活動かなにかかと思った。しかし写真を撮り終わるとお金を要求してきた。これは困った。

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とりあえず50ルーブルを出すと紙には1000ルーブルと書いてある。それはさすがにないな、やられたあ、とここで気づいた。失礼だがこんな写真に1000ルーブルも払う価値はない。なにがなんだかわからない。一向に退く気配はなく。値を落として300ルーブルを要求してきた。日本円で600円だ。一般的には高くもなく払ってしまうところだろうが、無職旅でお金にはシビアだ。600円でも頑なにオッケーしない癖っ毛。

ふと冷静になって写真撮影に対してお金を求めて来ているのだから、では写真を消すからもういいだろうと言ったら案外すんなりいった。写真を消すなんてそこまでする必要はない、わかったという感じでまた路地裏へ戻っていった。その後も彼らの様子をちらっと見たが本当に建物の裏に隠れている。恐らくそこからカモになりそうな観光客を見つけたら一斉に行くのだろう。目を輝かせて純粋無垢そうに街を撮る癖っ毛は恐らく最高のカモのように見えたのだろう。恥ずかしながら初めての欧米に我を見失っていた。とりあえずなんとか冷静さを取り戻してお金を巻き上げられずに済んでよかった。

写真(思い出)は消すことないよとお金を取らずに結局去っていった彼らを見て、やはりロシア人は良い人だとさえ思った。ポジティブすぎるだろうか。

 

ツイッターで公言した通りこの旅の大義は、世界平和だ。自分の無鉄砲さと行動力を活かして、皆が観光で行かないところや日本で情報を得るのが難しい地域に足を運んで情報共有することで皆がこれらの地域に興味を持ったり理解をすることで異文化理解が進み微力ながら世界平和に貢献できたらと思っている。

その上やはり良い情報だけの共有で情報が偏ってもだめだ。癖っ毛の目の前にあるありのままを伝える必要がある。このような少し怖い面があるということも皆さんに現実として知っていただきたい。なんでもかんでもロシア最高もしくはロシア最低と言う気はない。大柄であるしお金を請求された時は正直怯えたが、ただ冷静にうまく対処すれば大丈夫だ。やっぱりロシアは恐ロシアだと毛嫌いせずに観光やちょうど来年はワールドカップもあるのでぜひ皆さんにも来てほしいと思っている。

 そんなこともありながら無事に赤い公園にたどり着いた。観光客だらけだ。今回は大人しく癖っ毛も観光客に紛れて写真をカシャカシャ。モスクワだけあって、ちらほら日本語も聞こえてきた。この時間はすでにクレムリン聖ワシリイ大聖堂の内見学は終わっているためこの日は外観だけをぶらぶら見て回った。

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 本当に街が美術館のようでどこを切り取っても絵になる。このライトアップなんて全然メインストリートじゃなくて裏通りなのにこれだ。こんなきらびやかなところでデートなんて羨ましい限りだ。これで落ちない女性はいないのではないかとも思う。いつかの彼女と来たいなあなんて思いながら、氷点下前後の中の冷たい風が独り身癖っ毛にあたる。そんなで案外すぐ時間が過ぎてパベルさんの元へ戻った。

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お仕事が終わるのを待って車に乗せてもらって奥さんも拾い途中綺麗な夜景なんかを見られるところも寄りながらで帰宅したのは23時過ぎだったかなあ。

13歳の息子さんがマカロニパスタや果物切ってくれたりティーも入れてくれて軽食をいただきました。ロシアのお菓子ももらったけど名前なんだったかなあ。13歳の頃なんて自分のことに精一杯だったのに立派な息子さんです。

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食事をしながら今後の計画についても話していたんだけどここで皆様に重要なお知らせ…。

 自転車旅サンクトペテルブルクから始めます…!

 当初モスクワから開始を予定していましたが”ここからサンクトペテルブルクまでの道はただの幹線道路で退屈だ。何日間かモスクワに滞在して周辺を観るべきだ”と勧められました。奥さんは1週間かけてあの道でサンクトペテルブルクまで行く価値はないわとまで。笑恐らく東海道国土1号線のような感じなのだろうなあ。交通量も多く、自転車の走れる幅も小さいと。

正直かなり迷いました。とは言っても頑固ですしモスクワから出発しようかなあとか。モスクワからサンクトペテルブルクまでの道のりの小さな街も大変気になります。特に癖っ毛の旅の目的は世界史に深く通じている訳でもないので観光地や建造物を見ても享受しきれずそこにはありません。むしろ現地の人との交流や生活を垣間見たり食べ物などの文化にあります。それを考えるとやはりサンクトペテルブルクまで自転車で行こうかなあ、どうしよう。

ただこれと同じように郷に入っては郷に従えというように旅人らしく周りに振り回されるのもいいかなあとも思ったり。特に癖っ毛は頑固なので、社会人生活が始まる前に他人に振り回されることに慣れておかないと、とも常々感じております。サンクトペテルブルクにも知り合いがいるので紹介できるかもしれないなど色々としてくれようとしているのは感じるので無下にはできないなあ、なんて。

 すぐに答えは出せませんでしたが、翌朝には大人しくパベルさんに従うことに決めました。他人に振り回され、不確定要素を楽しんでいこうとこちらを選択しました。そのため恐らく来週水曜辺りまでモスクワに滞在して周辺をサイクリング。その後電車でサンクトペテルブルクまで向かい、数日過ごしたあと旅をいよいよ始めることになろうかと思います。

なのでしばらくは癖っ毛観光客やってます。

 

あとパベルさんの話が面白かったなあ。全体的な計画としてロシアのあとはエストニアに抜けていく予定とのことを伝えると。バルト三国は絵本みたいで本当に美しい、僕たちにとって西欧を感じる貴重な場所だった、と。パベルさんは1966年のソビエト時代に生まれた。海外旅行なんていくことはできなかった。上司から許可がおりれば行くことはできるのだけど、成績が悪いだのなにか言いくるめられ基本皆許可はおりなかったそう。

そこで当時小さい頃母親と行ったバルト三国が印象に残っているみたい。バルト三国ソビエトに支配される前にもハンザ同盟やら西欧との関わりがあって街並みもソビエトやロシアのそれとはまた違い、西欧を感じるらしい。フランスやドイツに行きたかったが行けなかった当時のパベルさんにバルト三国が応えてくれたそう。

自由に行きたいところに行けないという社会がつい3.40年前まであったということに本当に驚きでどんな社会だったのか、全く想像することすらできない。そんな時代があったことを頭の片隅にでも置きながらこのあともこの旅で色々なところに足を運びたい。パベルさんが訪れた当時とは恐らく街並みも変わっているだろうけど、どんな街なんだろうとエストニアラトビアリトアニアが楽しみになりました。

 この日は食事が終わって、1週間ぶりのシャワー浴びて部屋に戻って落ち着くと疲れがどっときてすぐ寝てしまいました。

 

 始まったモスクワ滞在。1週間後はおろか明日のことさえなにをするのかわかりません。川の流れのように身を委ねてまいるだけです。この先どうなることやら、誰も知る由はありません…。

 それでは更新遅くなりまして失礼しました。

お読みいただきありがとうございます。