汗かき、べそかき、自転車漕ぎ、

自転車旅で感じたこと、ぼやきその他いろいろ

休息日その2:戦争跡地と観光地と時々インターナショナルスクール

f:id:kusekkeman:20170830173702j:image

青色大好き癖っ毛です。

それでは那覇港ついてからとその次の日のお話。

 

27日の夜7時に那覇港に着きました。28日夜にお友達と食事の予定でしたが今日もいけるということで指定された沖縄そば屋さんに行ってまいりました。

 

そしたらお友達に加えて小学6年生と中学2年生が座っておりました。ちょうどお友達がお世話になっている方が出張で沖縄を離れておりそのお子さんの子守をしているんだそうで。

 

二人ともなんだか勢いがすごいというか、ずけずけ自分の領域に入ってくる感じで始めから圧倒されました。笑多くの日本の子とは違い良い意味で気を遣わず、遠慮もせずすごく素直な印象を受けました。

聞いてみるとお父さんが海外の方でお母さんはある国の国民栄誉賞も受賞しており二人とも幼稚園からインターナショナルスクールに通っているのだそう。お姉ちゃんはアイスランドの高校に通うことが決まっていて、弟くんはカナダの中学に進学するかもということでした。

 

まあ特に行こうとも考えたこともなかったですが経済的な面から私立さえも選択肢になく日本の公立一本しか選択肢なかったですから、彼らがすごく羨ましく写りました。彼らは私立や公立の段階で悩むのではなく、カナダか日本はたまたアイスランドに進学するのかで悩んでいるのです。今後こういうことはどんどん当たり前になってくるのでしょう。高校で海外留学も珍しい話ではなくなってきました。

 

インターナショナルスクールでの生活も楽しんでいるようでした。なんかそういう学校はお金持ちの親御さんが見栄で入学させて…という印象を持っていました。でも周りには小学生で憲法暗記しているような頭が良い子が沢山いるんだそう。自分なんか公立で中途半端に頭が良いことを周りから褒められて尊敬されて育ってきたのでくだらないプライドや自尊心が生まれてしまいました。(高校や大学でそのくだらない自尊心やらはしっかり破壊してきました。)小さい頃からそういう環境で周りに尊敬する子がいるという環境はいいなと感じました。公立のような規則や規律も特に厳しいということもなく最低限は求められるでしょうがすごく自由な校風も気に入っているようでした。

まあ将来保育士さんになりたいと言ったら、先生にせっかく英語ができるのだから活かしなさいと自分の夢を尊重されなかったのは腹が立ったと言っていましたが。本当に素直で話していて二人とも面白くて可愛かったですね。

 

そんな彼らを見ながらこれから社会人になって家族ってことを考えた時大富豪にはなりたくもなれるとも思いませんが、子供が彼らなりに考えあれしたいやこれしたいと言った時に応えられる程には稼ぎたいなあ、と。もちろん全部は与えるつもりはありません。ただ経済的な面で断念することはしたくないな、と。別に私立やインターナショナルスクールが公立よりも良いかとかそんなことはわかりません。でも早稲田とか灘高とか行った友達とかを見ていても”面白い”人が周りに多い印象で単純に彼らの話を聞いていてよく羨ましく思っていました。慶応大学に行った高校時代の友達は勉学に限らず周りに部活や課外活動で本当に面白く尊敬する人が多く、子供ができたら将来慶応に行かせたいとも言っていました。(でもこれはお金でなくて学力の話か?話が逸れてきましたかね?とほほ。)

 

やはり旅をしていても思います。お金は本当に大事です。コンビニのおにぎりしか食べるお金がないのか、それともコンビニのおにぎりと浜名湖うな重どちらを食べるか選べるお金があるのか。やはりお金があった方が選択肢があり、心にも余裕が生まれます。心に余裕があることで自分のことでいっぱいではなく外に関心を向け色んなことを吸収し学ぶ余裕が生まれます。お金がなかった東北旅とある程度金銭的に余裕のある今の西日本旅、確実に後者の方が色んなことを考える余裕があり多くを学べている気がします。

 

貧しい中でしか学べないこと、得られないこともあるので難しいですが自分自身や子供にはできるだけ多くの選択肢がある生活を送れるようにしたい、そのために稼ぎたいと感じました。

 

なんか話が色んな方向にいきましたが、要はインターナショナルスクールに通う2人を見て話して、選択肢のある生活とそれを実現する為のお金の重要さを感じましたというお話でございました。

 

(まとまったのか不安が残りますが…。)

 

次は戦争跡地と観光地のお話。

到着して夜はお友達と子供たちとご飯を食べ、そのままその子供たちのお宅へ泊まらせてもらいました。県庁しか予定がなく他を全く考えておりませんでした。友達になにかお勧めはあるかと聞いたら、渡嘉敷島を勧められました。那覇港から船で日帰りでも行けるということで翌日行くことにしました。

 

冒頭の写真はその渡嘉敷島の写真です。島南部は遊泳禁止でシャワーなど設備も整っていないので誰も来ずこの綺麗な浜を独り占めしておりました。本当に綺麗でした。感動しましたねえ。お恥ずかしながら周りに観光客もいないので頼むこともできませんし、三脚を使い必死で自撮り頑張っていました。笑

f:id:kusekkeman:20170830191649j:image

 

行きの船が島に11時に着いて、16時が那覇に戻る最終便ですので滞在時間は半日もなく浜で少しのんびりしたら帰りの便に乗るため港へ向かいました。

すごくいい気分で帰りの便に乗り込み那覇に戻りました。

 

那覇の港に着いて、この日も友達とご飯を食べる予定でしたのでそれまでの間で沖縄県庁に挨拶を済ませてきました。県庁舎には大きいシーサーが何台もおり可愛かったです。

 

で友達と合流して渡嘉敷島どうだったと聞かれたので最高だったよ、と。そしたら怖い話聞く?というのでそんなこと聞かれたら聞かないと言う選択肢はない訳で…。

 

渡嘉敷島は全世界的に見ても悲しき集団自決の歴史があるのだそう。元々行く前に軽く調べており、集団自決の碑というのがあるのは知っておりました。実際渡嘉敷島を走った時も道の途中で戦争跡地の碑と当時の状況を伝える文がありました。大変失礼ではありますが、集団自決と聞いて驚きはしませんでした。戦争の時はよくあることなのだろうと。追い込まれて海にでも飛び込んだのだろうと。本当に本当に失礼な話だと承知しております。恥ずかしい限りです。

 

ただ話を聞いみると想像以上でした。渡嘉敷島は米軍が沖縄上陸作戦の補給基地として上陸、占領したそうです。綺麗な海に囲まれたこの島は火の海になり、戦闘機なども使いものにならなくなり日本軍も戦うことを諦め、島民には手榴弾一家に一つ渡しました。一応、米軍と戦うためということでしたが手榴弾一つでなにかできる訳でなくそれを使って島民は自決を決めました。この後が本当に悲惨で、ちゃんとと言うと可笑しな話ですが手榴弾でちゃんと一家全員死んだところがある中で、手榴弾が不発だった家族もいました。そこでどうしたのか、力の強い父や兄が母や幼い弟妹を殺し合うということが始まったそうです。これを聞いてなんとも言えない気持ちになりました。今生きている女性の母親が経験した話ということです。その女性の母親は当時死ぬのも生きるのも恐ろしく手榴弾が爆発する時に詳しくはわかりませんがなにかを覆い生き延びました。父や母、兄弟は目の前で亡くなっており、周りを見ると他の家族の殺し合いが行われていたそうです。

現在もその集団自決の碑の奥に足を踏み入れると詳しくはわかりませんが生々しい当時の跡が残っているのだそうです。

 

必死で三脚を使い写真を撮っていた自分はなにをしていたのか。そんなことをしてよかったのだろうか。罪悪感のようなものさえ感じました。今はすっかり観光地となり、中国や韓国など東アジア系を始め西洋系も含め海外観光客で行き帰りの船内もビーチも溢れていました。すでに船内には気合い十分で空気の入った可愛い浮き輪がちらほら。当たり前ですが彼らは何も知らず多くがひたすらにインスタ映えする写真を撮るべく健闘していました。何を隠そう癖っ毛も数時間前はそんな彼らの1人だった訳です。どういう姿が理想で、どうすべきなのかは全くわかりません。ただなにかとても複雑な気持ちになりました。これでいいのか。自分は考えすぎか。自分は敏感すぎるのか。集団自決も所詮”過去”や”昔”の話か。なにかどうだという意見がある訳でもなく、彼ら観光客を否定したい訳でもなくただすごく今の光景と昔の光景の大きなギャップに何とも言えぬ複雑な心境に襲われました。

 

今は国立公園にも指定され、観光地になり観光客に溢れた渡嘉敷島。勝手に1人出口のない洞窟に入った癖っ毛でした。

 

そのあとは友達と夕陽を観にドライブしたり、おすすめのオムタコライスをアメリカンビレッジにあるお店に食べに行ったりしました。本当はもう一方先輩が来る予定でしたが、英語力向上のため基地内留学をしていて講義があり参加できなくなってしまいました。基地内留学という仕組みにも驚きましたが、常に前を向いて学び続ける先輩の姿に惚れ惚れしました。

そんなこんなで恩納まで送ってもらい、2日間もお泊まりさせていただくわけにも行かないのでビーチで野宿しました。波の自然BGM、満天の星空、近くにはファミリーマート最高のロケーションで友人には感謝感謝でした。

f:id:kusekkeman:20170830191440j:image

 

いつまでも暗い顔をしていても仕方がありません。渡嘉敷島へ沢山の人に来てもらって、渡嘉敷や沖縄を好きになって地元に帰ってもらう。それが島民の望みなのかもしれません。本当に渡嘉敷島は海が綺麗で、道行く人や食堂のおばちゃんおじちゃんとも旅の話をしたり温かい人ばかりでした。ぜひ興味があれば足を運んでみてください。那覇の泊ふ頭から往復3000円で行けますし本当におすすめです。

そして迎える沖縄滞在最終日、、、。

ではでは失礼します。