汗かき、べそかき、自転車漕ぎ、

自転車旅で感じたこと、ぼやきその他いろいろ

休息日その3:鶏が卵食べちゃった。

 

今はとりあえず朝鹿児島新港着いて走って熊本県に入りました。詳しいことはこの記事書き終わったあとに更新いたします。

後回しにすると更新せずじまいなのでとりあえず沖縄編を終わらせます。

 

沖縄2日目、恩納のビーチで清々しい朝を迎えました。友人が名護で町おこしをしているお友達を紹介してくれて、会うのが午後3時でしたので美ら海や今帰仁の辺りをお散走することにしました。何といってもエメラルドビーチ近くのシャワーは無料なのでございます。それを前の晩に聞いてひと汗流そうと。フェリーで港着いてからお風呂に入れておりませんでしたので…。

渡嘉敷島も暑くてね、大変な汗かいたので流したかったのですが沖縄じゃ銭湯や温泉うまく見つけられませんで。あるにはあるけれどもホテル併設で1000円とかで、うーんそんな払うほどでもなあとだらだら。

 

ちょうど備瀬フクギ並木通りの手前のお手洗いに無料シャワーが併設されておりました。気持ちよかったですね。

本部港出る前に食料調達にスーパーへ寄った時に鹿児島から沖縄まで各島々を自転車で巡ってる方と会いました。昔も沖縄を周ったことがあるみたいで、昔は各ビーチで無料シャワーがあり、テントも大丈夫だったみたいです。でもその方前の晩に瀬底島行ったみたいでしたがシャワーは有料になっていて、テント張りも禁止になっていたそうです。

すっかりリゾート地になっちゃったねぇ、と悲しげに一言。

前日私が泊まったビーチのシャワーも3分100円でして、仕方なくシャワーのために30km美ら海方面まで漕ぎました。

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ついでに洗濯物も濯いで干して小一時間ほどこの沖縄限定の胡散臭い飲み物片手に海をぼんやり眺めておりました。伊江島も綺麗に見えていい景色でした。あんまり格好いいものじゃないですが、海岸線で黄昏てなんか旅人してるなあ、って自惚れておりました。笑

 

そのあとは今帰仁周りで名護に戻って紹介していただいた方の方へ向かいました。

ワカゲノイタリ村、ってところで。興味がある方は検索すれば出てきますのでぜひ調べていただけると嬉しいです。

早速着いてご挨拶すると、ちょうど前日この名護市二見地区で盆踊り大会があり今日は夕方からその会場解体作業があるみたいで行くことになりました。

 

着いたのが3時ですからそれまで時間があり、村にあった本を読んでいました。普天間基地移設に関する本を少し。ちょうどここから自転車で10分ほどのところにキャンプ・シュワブ(辺野古)があります。前日に友達から戦争に加えて基地問題の話も少し聞いておりました。本当に複雑な問題で、、、。

自分なんかはニュースでしか情報を得ておりませんでした。地元の人が反対して運動をしていると思っておりましたが、割と県外から左翼の方が来て主導していたりするみたいですね。ただその本も偏りがあるのかもしれません。本当に情報の判断が難しいです。その本は割とリベラルで琉球新報などのメディアの情報操作などに批判的で、オスプレイに関してもフィリピンでの災害時に避難援助や物資供給で重要な役割を担っていると評価していました。沖縄では毎日戦争当時の映像を流し厭戦ムードを作り、基地問題に関しても意見操作をしているとか。中国や北朝鮮などアジア情勢や平和を鑑みた時に必ずしも基地は悪ではない、と。また基地がある地域は健康面や経済面など基地がない地域と比べて水準が高いそうで。

ニュースでしか情報を得ておりませんでしたのでとても新鮮でした。政府からの沖縄県への手当と県知事の基地問題に対する姿勢変化の関係など非常に興味深く読ませていただきました。著者は沖縄の大学で講義をしておりましたが、この態度のために左翼的教授陣より大学を退くことを強いられたそうです。学生が署名を集めるも留まることはできなかった、と。

 

ただ自分がこれを読んでいるところを見た具志堅さんが、”その本はちょっと違うよ。”と。具志堅さんは生まれも育ちも沖縄で、やはりこの問題は複雑で様々な意見や立場が交錯しているのだなあ、と。自分は平和のために軍や武力は必ずしも要らないと大変無知ながら思っていました。友人にそれは理想論だとひと蹴りされました。確かに基地や軍が沖縄にあることで中国や北朝鮮に対して牽制として大きな意味があり東シナ海周辺アジアの秩序を保つ上で重要な役割を担っているのは事実のようで…うん。

 

そんな感じで途方に暮れていると解体作業お手伝いの時間がやってきました。

 

いやあ自転車とはまた違ういい汗かきました。良き思い出となりました。作業が終わるとおじちゃん達からオリオンビールの差し入れが、、、美味かったなあ本当。大きなゴーヤとお肉も貰いました。それは村に帰ってりなさんが調理してくれました。これまた絶品で。村は基本的に自給自足の生活です。お米も野菜も全て手作りだそうで、何もせず急にお邪魔しただけですから本当に感謝しながら頂きました。

 

和やかに夕ご飯を食べている時にりなさんが言いました。

”ボス(鶏)が卵食べちゃった。”と。

聞き間違いかと思いましたが真剣な悩みだそうで。先日地域の方から鶏を何匹か頂いたみたいで今卵も自給でやろうとしているそうです。でも1人旺盛なのがいてなかなかうまくいかず、試行錯誤しているみたいです。

 

りなさんは自分と同い年です。具志堅さんは一つ上。自分みたいに多くの都会の若者がTOEICをどうしたらあと50点あげられるか、面接で第一印象がいい髪型はなにかと頭を悩ませている一方で、鶏の卵や畑作りに真剣に悩んでいる彼らがすごく新鮮でした。彼らがすごく格好よくみえた。彼らは”生きていた”。割と自分も農家とか真剣に興味ありますけどなかなか踏み出せない。でもりなさんは大学も中退し、覚悟を決めて近くに家も借りたそう。古民家学校をやる傍ら農業するのが夢と言っていた。自分の価値観ぶれずに持って、進んで本当に格好よかった。

 

旅をして色々な人を見たり、会ったり。色々な生き方があるとつくづく思う。自分はどうしたいのか、色々なものを捨てて犠牲にしてそれに飛び込む勇気があるか。まだまだ発展途上の癖っ毛です。

 

夜はそのままワカゲノイタリ村で寝かせてもらいました。朝はみなさん夜遅くまで9月2日にある音楽ライブの準備作業で寝ていたのでそっと村をあとにしました。

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近くということだったので辺野古の反対運動の様子も見てきました。うーん、なんかなあ。自分は東京で反対運動関連で署名活動を見かけても書かないだろうな、という印象を受けました。

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今は有難いことに熊本のフリーWiFi環境下にいますので画像もいくつか載せておきます。

 

そのあと本部港に行き鹿児島新港行きのフェリーに乗りました。沖縄を離れるのは少し寂しかったなあ。友達や2人の子供にワカゲノイタリ村やその他島の人たち、居心地が良かったからかなあ。はたまた鹿児島に戻ったらまた走る日々の連続で少し沖縄でのんびりしたせいか怖気づいているのか。

 

さて折り返し地点沖縄を経て、後半戦初日鹿児島・熊本間はどうだったのか。

沖縄編はここいらで終わりましょうかね。お読みいただきありがとうございます。

ではでは失礼します。