汗かき、べそかき、自転車漕ぎ、

自転車旅で感じたこと、ぼやきその他いろいろ

歳の数だけ東欧・南欧諸国1万キロ自転車旅第5走:食堂車で優雅な朝ごはん。

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3日目の朝を迎えると昨晩知り合ったアチョムさんが食堂車で朝食を食べようと声をかけてきてくれた。エグザさんもこの日の深夜に下車するため記念に食べたいのだという。ちょうど癖っ毛も食堂車での食事は贅沢だがこれが最後とは言わないまでも次シベリア鉄道に乗るのはまただいぶ先だろうからせっかくの機会に行きたかったのだ。最後の夜にでも1人で行こうかなあと考えていたが、1人で贅沢を味わうのはなあなんてとも思っていた。彼らにご一緒させてもらうことにした。

 

朝9時から24時まで営業しているようだけどモスクワ時間なのか、電車が走っている地域の時間なのか定かではない。

席に座るとおばちゃんがメニューを持ってきた。メニューは英語表記もあるので安心だ。食堂車は飲酒OKなのでアルコール類のメニューもある。アチョムさんに伝統的なロシア料理を食べたい旨を伝えるとボルシチとブリヌイをお勧めされそちらを頼んだ。

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しばらくすると念願であったボルシチとのご対面。ボルシチピロシキの2つだけ日本を出る前からなんとなくロシア料理と聞いていて本場で食べるのを楽しみにしていた。(ボルシチウクライナが発祥のようだけど気にせず食す。笑)癖っ毛もどんな料理かはわからないが名前だけはなぜだか聞いたことがあった。そういう日本の方も少なくないのではないか。

一般的なロシア家庭ではスープは正餐の昼食でしか出ないそうというのは2つ前の記事でお話しした。メインとも言うべき存在でスープの中は具沢山が基本。こちらの食堂車のボルシチも具沢山であった。ジャガイモに玉ねぎに肉団子。魚はアレックスさん家で食べたがロシアに来てからお肉は食べていなかった。揺れる食堂車でスープも揺れてこぼれそうなくらい入っている。思わず3人でおっとっと。まずは揺れる中苦戦しつつもエグザさんと一緒に観光客2人写真にしっかり納めた。貴重なスープを全く朝からだなんてとそのあとしっかり噛み締めながらいただいた。ボルシチは世界三大スープなそうな。魅惑の赤紫色のスープ。ボルシチスメタナというサワークリームは欠かせない。これでぐっとコクも出て大変に美味である。カルシウムや鉄分を取ると言った面からも大切な存在だ。本当においしかった、頬がとろけて落ちてしまいそうだった。

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食堂車のブリヌイにはイクラが添えられていた。なんとも本当に贅沢な朝食である。この2つで約1000円、ロシアの物価を考えれば安くはない朝食だ。この日の昼間は怠らずブログしっかり書こうと誓い贅沢を堪能した。

 

どうでもいいぼやきだがここのブリヌイは2枚だった。アレックスさん家では娘さんかお母さんが焼いてくれて見るだけでお腹いっぱいになる程山のように何十枚もあった。あれはなんとも幸せなことだったんだなあ、と。ぱくぱく次から次へと頬張っていた自分が恥ずかしい。今更ながら本当に一般家庭に泊まらせていただいて、ほんの一部ながら日常を垣間見させてもらい貴重な体験をさせていただいたなあと思う。この辺りは20年前は治安が悪かったという集合住宅は味があった。もちろん今は学校が近所に3つあるほどだし大丈夫なのだろう。こう廃れていそうに見えても入口には目や指紋認証センサーがセキュリティは万全。

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少々話が脱線してしまいました。食堂車の話に戻ると、この日はまた天気も快晴のためこの大パノラマを眺めながらの朝食でした。人はこうした瞬間こそおいしいとか最高とか口にするのではなく、ぼんやり窓の外を眺めながら黙って頬張り嚙みしめるものなのかなあと黙々と食事をする3人を見て思った。いやあ本当に幸せなひとときでした。

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食堂車をあとにしてまた席に戻った。ロシアの地球の歩き方は電子版ではないのでとりあえずバルト三国辺りを読んだり、合間合間でブログを書いたりやることは基本同じだ。時々エグザさんが遊びにくる。彼女はインスタグラマーならぬウィーチャットラー(中国のSNS)で、車内できれいな景色などを撮ったりしてはよくあげて友達の反応を楽しみにしている。いくつか撮った車窓からの動画を1つにくっつけてムービーを作ってみたんだ、と見せにきたりした。

 

そんな前の日やこの日彼女と話している中での面白い感覚。

旅中に色々な人やものと触れ合う中で、外部がどんどん遠慮や許可なく自分の一部になっていく感覚。もちろん良い意味でだ。これが本当にたまらない。

 

彼女を例にとって言ってみよう。彼女は重慶出身の中国人女性だ。なにやら真っ赤な鍋の写真を見せてきた。彼女の地元ではかなり有名らしい。彼女いわく世界的にも有名なのに逆に知らないの?という風な表情だった。正直彼女の出身地が重慶ということはあとで調べてわかった。中国表記では重慶とは書かないし、発音も違うので全くわからなかった。ただグーグルの地図で示してくれた時、重慶の”重”という字は中国表記でも同じなので重慶のことかなあなんて思っていた。そして真っ赤な鍋も彼女の言う通り名物で重慶火鍋と日本はもちろん世界的に有名みたい。

途中の駅でヌードルを買い足した癖っ毛を見て、私の地元では麺も有名なのよと言ってきた。見せてきた写真はまたまた真っ赤なスープの麺料理だった。これもあとでわかったが重慶四川料理の本場の1つみたいで四川拉麵も名物の1つ。どうりであんだけ赤く辛そうな訳だ。四川料理自体は高校の最寄駅にありその頃からよく食べていたが、四川がどの辺りを指しているか全く知る由もなかった。恥ずかしい限りだ。

あとは重慶の旧市街の街並みが千と千尋の神隠しのモデルにもなったなんて話もしていた。宮崎駿監督も地元で見たことがあると言っていた。モデルではないようだが確かに似たような建造物があり、日本でも有名で多く観光客が足を運んでいるよう。

 

彼女と話をしているうちに今すぐにでも重慶に行きたくなった。あのおいしそうな火鍋に拉麵の写真を見たら誰でもそう思うことだろう。彼女と出会うことで自分の中で、世界史でほんのすこし触れた程度の中国の単なるいち都市重慶がただの街ではなくなっていた。

 

このような世の中の沢山の他人事が自分事になっていく感覚。旅だけではなく普段でも意識すれば得られる感覚かもしれないが、やはり旅はやめられそうにない。

これは日本での自転車旅でも感じたことだ。

 

正直旅に出る前、数年前の広島での豪雨や阿蘇での地震もそれは単なるひとつのニュースに過ぎなかった。どうでもいいなんてそこまで不幸者ではないが、なんか大変そうだなあと他人事だった。その後もバイトなり大学なりなにも変わらず自分の日常は動いていく。

 

ただ西日本旅を終えて埼玉に戻ってくると九州を台風が襲っていた。ちょうどニュースには大分県佐伯市が出ていた。何事もないかのように家事をする母親の横で、テレビをぼっーと眺める癖っ毛。佐伯市自体はその時海沿いではなく山を越えて宮崎に入ったので通ってはないが、標識で見たのを覚えていた。大丈夫かなあ、そんな風に思った。明らかに以前のような他人事ではなく自分事として、自分の一部としてそのニュースを捉えていた。だからと言ってなにか助けにいく訳でもアクションをする訳でもないから変わっていないと言えば変わっていないのかもしれない。その事になんの意味もないのかもしれない。

ただこの他人事が自分事になっていく感覚が好きだ。今のこの合理的であることや効率を求める現代社会でよく聞かれる”ではそのことにどんなメリットやデメリットがあるんですか?”という質問には悔しいけど今はうまく答えられない。ただこの辺りに旅をする醍醐味や大義がある気がする。この旅が終わる頃にはこの質問に答えられるようにぼんやりと考えながら歩みたい。ただこの感覚が好きで、それ故旅とは切りたくても当分いや一生縁を切れそうになさそうだなあ、なんて思った。

 

4月働き始める前までに重慶に行きたいなんてこれっぽっちも思ってもなかった。重慶なんて言葉を使ったのも聞いたのも何年ぶりだろう。でも今は4月までに重慶に観光しにいく確率がゼロではない。むしろ3.4割くらいあるのではないか。中国自体には行ってみたいとは思っていたしいいきっかけになった。

 

バイカル湖に関しても同じことが言える。

シベリア鉄道を乗るにあたって、事前に色々な観光サイトやブログを見てイルクーツク駅で降りて世界遺産バイカル湖というコースもあることを知った。自然は大好きだし行こうかとも思ったが今回はパスと行く気もさらさらなかった。特に頑固な癖っ毛は観光ガイドブックなどではびくともしない。でもエグザさんのバイカル湖でのこれからの旅程の話を聞いたり、アチョムさんがそこに住んでいると言うだけで一緒に降りたくなってきた。バイカル湖は単なる有名な観光スポットではなくなっていた。

 

他の面からも今回彼女と出会えてよかったと思う。正直大学で関わった中国人の女性たちは皆典型的な中国人女性というか本当に我が強く芯の太い方々で個人的には中国人に対して苦手な印象を持っていた。仲間としては頼もしいが、敵に回すと大変そう…という。特に始めが18歳の時だったのもあり圧倒された。でもエグザさんは本当物腰柔らかで優しい素敵な人だった。こんな天真爛漫な方がいるんだと。普通に考えれば当たり前のことだ。13億人もいれば多種多様で一括りにはできない。ただ出会った中国人がたまたまそういうタイプが多かったためになんとなく一括りにして苦手意識を持っていた。中国人に対するアレルギーが幾分かなくなった。

 

あとこの食堂車に行く時に他の車両で時刻表のようなものもちらっと見つけた。ひょっとするとと自分の車両に戻って探してみると車掌さんの部屋の横にあった。勝手に脳の中でロシア語関係はシャットダウンして情報処理していたのだろうか。3日目と若干気づくのが遅かったのもあるがこの時刻表のおかげで以後自分で車内での生活をコントロールできるようになった。この時刻表を見つけた半日後イルクーツクで2人が深夜3時に降りると聞いていた。まずイルクーツクの駅を時刻表で見つけ、車内のモスクワ時間と照らしながらどこに今自分がいるのか掴んだ。一丁前に次長く停まる駅に狙いを定めて、見事飲みものとヌードルも調達できた。生活に慣れてきて享受するだけでなく自分で動けるようになりさらに楽しくなってきた。

 

ローシャくんとの別れは悔やまれたので、2人には深夜だけど下車する時はお別れしたいから起こしてね、と言った。その夜は9時過ぎに寝たこともあり、起こされることなく自然に3時前に起きて無事彼らを見送ることができてよかった。彼らとの出会いに感謝です。

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シベリア鉄道生活もイルクーツク駅を経ていよいよ後半戦だ。

 

お読みいただきありがとうございます。

それでは失礼いたします。