汗かき、べそかき、自転車漕ぎ、

自転車旅で感じたこと、ぼやきその他いろいろ

歳の数だけ東欧・南欧諸国1万キロ自転車旅第7走:ロシアは本当に恐ロシア?

 

無事一昨日19日昼にモスクワに着きました。

モスクワに着き昨日一昨日とばたばたしていました。日本との時差は6時間です。書き始めている今は早朝です。恐らく書き終える頃には日本時間で昼の3時辺りになるかと思われます。

現在滞在させてもらっている家のご主人が今日は早朝出勤で今一緒に出るか?と聞かれましたが気持ちなどの整理がてらブログを書きたいと思いお断りして部屋で落ち着いております。

 本来であるならば今日21日の朝自転車旅の開始のはずでしたがあれ?出発していないの?ということも含めモスクワに到着した19日の話を振り返っていきたいと思います。

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2017年10月11日午前11時過ぎ、シベリア鉄道ウラジオストク発モスクワ着が終点モスクワ・ヤロスラフツキー駅に着いた。

前回のブログを更新した後この駅までの3時間少々気持ちが落ち着かず周りから変な目で見られないように平静を装うのに必死だった。どんどんと高まる気持ち。街並みが変わってくる。トタン屋根からコンクリートの集合住宅や綺麗なレンガ造りの家に変わってくる。家の数、交通量に人の数と町から街へと変わっていくのが車窓からわかった。いよいよ着くんだ。

正直不安の方も大きかった。当時モスクワ市内での2日間はパベルさん家で保障されていたがサンクトペテルブルクまでの家が事前に確保できないし、アプリ上でも数が圧倒的に少ない。野宿になるのかなあ。野宿で良さそうな所あるかなあと車窓から探していたが、よくわからないキリル文字のスプレー缶による落書きがそれを拒否しているようだった。俺らの街だ、他所者が寝るところじゃねえ。って。それに怯えた。この先どうなるのか、無鉄砲もいいところだ。先が見えない漠然とした不安が襲いかかった。

不安と高揚とが交錯してなにか胸のあたりが気持ち悪かった。そしてそれを助長させるように終点が近づき、皆が下車準備をし始めて車内も落ち着きがなくなってきた。落ち着かず早々に下車準備を終えた癖っ毛は、手持ち無沙汰で気持ちを落ち着かせるようにぼーっと窓の外を眺めるしかできなかった。

 終点へ着き、ホームに降り立った。シベリア鉄道での生活が終わった。保障されていた生活が急に手元からすっと離れていった。

 正直物思いにふけっている余裕もなかった。自転車を受け取るべく癖っ毛が乗っていた車掌さんに下車前に持ってきた電子辞書のロシア語辞典を使い作った文で聞いてみた。電子辞書を購入した当時絶対使うことはないだろうと思っていたが不思議なものだ、まさか使う時が来るとは。

 グヂェ ヴィラスィピエート?

 どうやら通じたらしい。ただなにを言っているかはわからない。とりあえず車掌さんが指でさした方向にバッグ類の20kgを抱えて向かった。改札とは逆方向ですれ違う人にじろじろ見られる。シベリア鉄道の長い列車の一番端の車両で大きな荷物をおろしているアジア系の集団を見つけた。あそこが荷物車かな、とせっせと先頭車両まで。一応そこにいた車掌さんにも聞いてみる。

 グヂェ ヴィラスィピエート?

 ただ知らないわよ、そんな顔をされた。おいおいやめてくれと不安になった。彼らは最初の車掌さんとは逆の方向を指差し、戻るように言った。重い荷物で端っこまで来たのに…ため息を一息ついてまたせっせと戻る。遠くから最初の車掌さんが手招きしている。なにやら急いでいる風だ。恐らく車内点検や清掃また車庫に戻るなどあり早く荷物をおろしたいのだろう。とりあえず小走りで向かう。

 結果的に自転車は隣の車両にあった。無駄に10車両分も重い荷物を運んでしまったではないか。やっと全ての荷物が手元へ。その時には乗客は皆改札を出た後だ。ホームは閑散としていた。これらの荷物をとりあえず奥に小さく見える改札まで運ばなければと途方に暮れた。

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ホームへ降りた時は運び屋さんやタクシーのおじさんが沢山いたが、下車客もいなくたった今もうすっかりいない。最悪お金を払ってでもと思ったが自力で運ぶ他ない。

バッグ類を入れた袋は肩がけできるが重過ぎて袋が破けないか不安だし、細い紐が身体に食い込む。ただ後ろにいる先ほどの韓国人と見られる人たちもせっせと家族か皆で協力しながら大量の荷物を運んでるのを見て勝手に勇気づけられる。

 そしたら思いもよらぬところから救いの手が。上の写真にも奇跡的に写っていたが写真左上のロシア人青年が声をかけてくれた。彼とは同じ車両でほんのすこし挨拶をした程度だった。どこから来たの、程度。顔見知りだしそのまま無視して通り過ぎるのもあれなので重い荷物を運びながらも、笑顔でひと声かけた。そしたら彼はほんのすこし英語が話せるのだが、どうやら彼の友達が荷物を取りに来るから一緒に運んでもらおう。ここで待ちなよ、と言ってきた。断る理由はない。お言葉に甘えて一緒にホームで彼の友達を待つことにした。

 しばらくすると彼の友達が来た。久しぶりの再会なのか、男同士の熱い抱擁。いいものを見させてもらった。本当に素敵な光景だった。なにを言っているかはわからないが彼らの素敵な顔を見ているとこっちまで笑顔になった。こいつはロシア語がわかるのか?わかるわけないだろ。じゃあなんで笑っているんだ?そんなことも言われていたかもしれない。

 

日本に伝わる”ロシア”は偏っている印象を受ける。日本でアニメ声優になったロシア人女性。強面の格闘家に悪魔祓い。なんだか小さい頃の影響というのは大きいもので、小学生のころなんかにロシアの悪魔払いやらをテレビで見ていたせいでロシアは癖っ毛にとって得体の知れない奇妙なところでしかなかった。日本に昔からある”ロシアは恐ロシア”なんてダジャレも相まってなんだか漠然と恐怖すら感じていた。

シベリア鉄道車内や停車駅での光景含めこのような彼らの人間的な部分を見られて本当によかったなあと思う。この1週間だけでも大変価値があったのかなあと思う。彼らも同じ人間なんだ、そう思えた。大変失礼極まりないことで当たり前のことだが正直日本にいるだけではこれを認識するこは難しい。何かしらの興味があって積極的に情報を得たり、何かの縁でロシア人の友人ができないと、日本に来るロシアは専らオカルトな悪魔祓いか攻撃的な刺青をした強面の格闘家なんだもの。”ロシアは恐ロシア”を否定するものが一切ない。

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無事に改札まで運び彼らとお別れした。隅っこにスペースを見つけて、一息ついてさっそく作業開始。ペダルからサドル、ハンドルと一から小さなネジを回したりつけたり。国内の電車輪行であればタイヤを外す程度だけどこのダンボールサイズに納めなければいけないのでそうはいかない。

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冷たい風がじりじりと体力を奪う。10月だが最低気温は氷点下を下回る。手も悴まないように頻繁に指先を動かしながら黙々と作業を進める。途中ふと目にしたインドネシアに、勝手に応援されている気になってみたり。

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配送業系のお兄さんに仕事途中らしいが声かけられた。ロシア語だからわからないが、握手を求められた。お兄さんも旅人か自転車好きなのかなあ。初めての作業と寒さで2時間くらいかかってしまった。だいたい作業が終わると駅清掃のおじさんが声をかけてきた。恐らくこの大きなダンボールどうするんだ?ということだろう。これも事前にゴミ箱はどこ?と用意していたロシア語で聞いて場所をざっくり確認する。

自転車の組立が完全に終わり、ダンボールを運んでいたら先ほどのおじさんが来た。どうやら自転車もあるし盗まれるといけないだろうから運ぶということで、持って行ってくれた。ホームの青年に清掃のおじさんのおかげでやっと走り始められる。外の気温とは対照的にロシアの人は温かいではないか。ロシアは恐ロシアはどこへやら。残っていたクッキーをつまみながらまたひと息。

 

余裕がなくて全然周りは見ていなかったがふと街を駅前を見ると結構な人通りだ。シベリア鉄道間の途中駅とは違い完全に街だ。溢れるキリル文字。ひとが足早に歩く。すっかりビジネス街だ。トタン屋根は見当たらない。特徴的な彫刻や形をした建物ばかり。やっとロシアに来たという実感が湧いてきた。日本やインドネシアとは明らかに違うこの街並みに、欧米諸国が初めてなこともあり圧倒された。大した写真じゃないがこの初めての気持ちを忘れまいとiPhoneのカメラのシャッター切った。

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そしてパベルさんとの待ち合わせ場所まで走ろうと大通りにいったがすごい交通量とスピードに圧倒された。5kmの道のりだったが3キロほど歩いて待ち合わせ場所まで向かった。少し人通りが多く車のスピードも速くないところに入ってきてようやく漕ぎ始めた。

指定された場所に近いところまで来たが、高身長で顔立ちの良い白人の美男美女に加えDiorやらエルメスなどのお店が立ち並びすっかり弱ってしまった。こんな前後輪にバッグをつけた旅人仕様の自転車完全に浮いている。なんとか待ち合わせ場所であるパベルさんの作業場について無事に合流できた。

 8時まで仕事でそれまで観光でもして時間を潰すように指示を受けた。でもとりあえず腹ごしらえしなさいと隣のベトナム料理屋さんを勧められた。ただここに来てベトナム料理屋さんはないなあと少し出歩いたがエルメスがあるような通りでどこも癖っ毛にはお洒落過ぎた。やはり白人に対して劣等感のようなものを持っているんだろうなあ。通りの窓からいくつかお店の中を見るが、圧倒されて入れない。こんな髭も生やして、アウトドアな格好で黒髪な黄色人種がと。

お値段も良さそうなお店ばかりだったので、結局すぐ戻ってきて勧められたベトナム料理屋さんに入った。当たり前だが店員さんはロシア人でロシア語対応でメニューもロシア語。いつもは勝手に近くに感じていたベトナムがこの時は遠くに感じた。なんとか指差しで注文を済ませフォーをいただいた。モスクワということもあり物価は高く、700円と日本と変わらなかった。

 パベルさんの作業場に戻り、必要な荷物だけを持って他は置かせてもらい自転車と共に街へ繰り出した。

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近くにはボリショイ劇場があった。バレエやオペラには無知だがロシアを代表する世界的なバレエ・オペラ劇場でこの劇場が所有するボリショイバレエ団は日本でも来日公演を行なっているそう。世界三大バレエ団の1つだそうだ。ここは経験として見ておきたいなあとも思うが、サンクトペテルブルクのマリインスキーバレエとどちらで観るべきなのか全くわからない。モスクワが首都となった今ではこのボリショイバレエの方が名実や規模共に大きくなったのであろうか。

 読売新聞だったかな、昔家で定期購読していた頃年に一度ボリショイサーカス団のチケット招待が来て小学生の頃は毎年の恒例行事となっていて楽しみにしていた。だからボリショイ、という言葉に思わず反応してしまった。サーカスとの繋がりは全くないがボリショイサーカスもやはりロシア人サーカス団だったみたいだ。気づかないところでロシアと関わりがあった。ボリショイ劇場の前で勝手にボリショイサーカス団のことを思い出し幼少期の思い出に浸っていた。ボリショイとは大きいという意味で、文字どおり大きな会場での大迫力のサーカスに純粋に圧倒されていた頃が懐かしく思えた。

 

その後はとりあえず赤い公園にでも行こうと向かった。赤い公園に着く手前の定番グム百貨店裏通りで予期せぬ海外旅行の洗礼を受けた。きらびやかにライトアップされたグム百貨店やロシアの街並みに圧倒されて我を忘れてシャッターを夢中で切っていた。すると大柄な恐らくロシアの伝統衣装かなにかを身にまとった複数の男性に英語で声をかけられた。写真を撮りましょうと、カメラを取り上げられた。気さくに近づいてきて笑顔で悪そうな感じではない。ノーマネー?と聞いてお金は取らないということらしいので笑顔で一緒に写真を撮った。

観光客の思い出づくりのためにこのように伝統衣装を身にまとって一緒に写真を撮って回っている素敵な活動かなにかかと思った。しかし写真を撮り終わるとお金を要求してきた。これは困った。

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とりあえず50ルーブルを出すと紙には1000ルーブルと書いてある。それはさすがにないな、やられたあ、とここで気づいた。失礼だがこんな写真に1000ルーブルも払う価値はない。なにがなんだかわからない。一向に退く気配はなく。値を落として300ルーブルを要求してきた。日本円で600円だ。一般的には高くもなく払ってしまうところだろうが、無職旅でお金にはシビアだ。600円でも頑なにオッケーしない癖っ毛。

ふと冷静になって写真撮影に対してお金を求めて来ているのだから、では写真を消すからもういいだろうと言ったら案外すんなりいった。写真を消すなんてそこまでする必要はない、わかったという感じでまた路地裏へ戻っていった。その後も彼らの様子をちらっと見たが本当に建物の裏に隠れている。恐らくそこからカモになりそうな観光客を見つけたら一斉に行くのだろう。目を輝かせて純粋無垢そうに街を撮る癖っ毛は恐らく最高のカモのように見えたのだろう。恥ずかしながら初めての欧米に我を見失っていた。とりあえずなんとか冷静さを取り戻してお金を巻き上げられずに済んでよかった。

写真(思い出)は消すことないよとお金を取らずに結局去っていった彼らを見て、やはりロシア人は良い人だとさえ思った。ポジティブすぎるだろうか。

 

ツイッターで公言した通りこの旅の大義は、世界平和だ。自分の無鉄砲さと行動力を活かして、皆が観光で行かないところや日本で情報を得るのが難しい地域に足を運んで情報共有することで皆がこれらの地域に興味を持ったり理解をすることで異文化理解が進み微力ながら世界平和に貢献できたらと思っている。

その上やはり良い情報だけの共有で情報が偏ってもだめだ。癖っ毛の目の前にあるありのままを伝える必要がある。このような少し怖い面があるということも皆さんに現実として知っていただきたい。なんでもかんでもロシア最高もしくはロシア最低と言う気はない。大柄であるしお金を請求された時は正直怯えたが、ただ冷静にうまく対処すれば大丈夫だ。やっぱりロシアは恐ロシアだと毛嫌いせずに観光やちょうど来年はワールドカップもあるのでぜひ皆さんにも来てほしいと思っている。

 そんなこともありながら無事に赤い公園にたどり着いた。観光客だらけだ。今回は大人しく癖っ毛も観光客に紛れて写真をカシャカシャ。モスクワだけあって、ちらほら日本語も聞こえてきた。この時間はすでにクレムリン聖ワシリイ大聖堂の内見学は終わっているためこの日は外観だけをぶらぶら見て回った。

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 本当に街が美術館のようでどこを切り取っても絵になる。このライトアップなんて全然メインストリートじゃなくて裏通りなのにこれだ。こんなきらびやかなところでデートなんて羨ましい限りだ。これで落ちない女性はいないのではないかとも思う。いつかの彼女と来たいなあなんて思いながら、氷点下前後の中の冷たい風が独り身癖っ毛にあたる。そんなで案外すぐ時間が過ぎてパベルさんの元へ戻った。

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お仕事が終わるのを待って車に乗せてもらって奥さんも拾い途中綺麗な夜景なんかを見られるところも寄りながらで帰宅したのは23時過ぎだったかなあ。

13歳の息子さんがマカロニパスタや果物切ってくれたりティーも入れてくれて軽食をいただきました。ロシアのお菓子ももらったけど名前なんだったかなあ。13歳の頃なんて自分のことに精一杯だったのに立派な息子さんです。

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食事をしながら今後の計画についても話していたんだけどここで皆様に重要なお知らせ…。

 自転車旅サンクトペテルブルクから始めます…!

 当初モスクワから開始を予定していましたが”ここからサンクトペテルブルクまでの道はただの幹線道路で退屈だ。何日間かモスクワに滞在して周辺を観るべきだ”と勧められました。奥さんは1週間かけてあの道でサンクトペテルブルクまで行く価値はないわとまで。笑恐らく東海道国土1号線のような感じなのだろうなあ。交通量も多く、自転車の走れる幅も小さいと。

正直かなり迷いました。とは言っても頑固ですしモスクワから出発しようかなあとか。モスクワからサンクトペテルブルクまでの道のりの小さな街も大変気になります。特に癖っ毛の旅の目的は世界史に深く通じている訳でもないので観光地や建造物を見ても享受しきれずそこにはありません。むしろ現地の人との交流や生活を垣間見たり食べ物などの文化にあります。それを考えるとやはりサンクトペテルブルクまで自転車で行こうかなあ、どうしよう。

ただこれと同じように郷に入っては郷に従えというように旅人らしく周りに振り回されるのもいいかなあとも思ったり。特に癖っ毛は頑固なので、社会人生活が始まる前に他人に振り回されることに慣れておかないと、とも常々感じております。サンクトペテルブルクにも知り合いがいるので紹介できるかもしれないなど色々としてくれようとしているのは感じるので無下にはできないなあ、なんて。

 すぐに答えは出せませんでしたが、翌朝には大人しくパベルさんに従うことに決めました。他人に振り回され、不確定要素を楽しんでいこうとこちらを選択しました。そのため恐らく来週水曜辺りまでモスクワに滞在して周辺をサイクリング。その後電車でサンクトペテルブルクまで向かい、数日過ごしたあと旅をいよいよ始めることになろうかと思います。

なのでしばらくは癖っ毛観光客やってます。

 

あとパベルさんの話が面白かったなあ。全体的な計画としてロシアのあとはエストニアに抜けていく予定とのことを伝えると。バルト三国は絵本みたいで本当に美しい、僕たちにとって西欧を感じる貴重な場所だった、と。パベルさんは1966年のソビエト時代に生まれた。海外旅行なんていくことはできなかった。上司から許可がおりれば行くことはできるのだけど、成績が悪いだのなにか言いくるめられ基本皆許可はおりなかったそう。

そこで当時小さい頃母親と行ったバルト三国が印象に残っているみたい。バルト三国ソビエトに支配される前にもハンザ同盟やら西欧との関わりがあって街並みもソビエトやロシアのそれとはまた違い、西欧を感じるらしい。フランスやドイツに行きたかったが行けなかった当時のパベルさんにバルト三国が応えてくれたそう。

自由に行きたいところに行けないという社会がつい3.40年前まであったということに本当に驚きでどんな社会だったのか、全く想像することすらできない。そんな時代があったことを頭の片隅にでも置きながらこのあともこの旅で色々なところに足を運びたい。パベルさんが訪れた当時とは恐らく街並みも変わっているだろうけど、どんな街なんだろうとエストニアラトビアリトアニアが楽しみになりました。

 この日は食事が終わって、1週間ぶりのシャワー浴びて部屋に戻って落ち着くと疲れがどっときてすぐ寝てしまいました。

 

 始まったモスクワ滞在。1週間後はおろか明日のことさえなにをするのかわかりません。川の流れのように身を委ねてまいるだけです。この先どうなることやら、誰も知る由はありません…。

 それでは更新遅くなりまして失礼しました。

お読みいただきありがとうございます。