欧州自転車旅準備編その1:無職は、つらいよ。
全然旅準備が進みません、癖っ毛です。
ここまで自分の欠点を突きつけられるのは辛いですね、ずっと優柔不断に悩まされております。
最近は家でひたすらショッピングサイトか近くのアウトレットで商品と睨めっこして、悩んで悩んで結局買わずで1日終わる日が続いておりました。性格的にずっと家にいるのは本当苦痛なのですが無闇に電車ででかけるのは無職の財布には痛いですしで家でだらだらずっと考え込んで…。
ずっと家にこもるか、アウトレットの繰り返しで本当に嫌気がさしてきたので今日は池袋まで来てみました。が、結局何も買わず…。
無職にとっては池袋まで出るのにも往復千円かかりますから痛手で、出たからにはと何か買おうとしましたが本当にそれは必要か、落ち着いて考えようと今は手ぶらで帰宅電車の中です。ため息しか出ないです。
いやあ、本当に無事旅を終えられるのか…行く前から疲労困憊です。
やはり冬場は荷物にお金にかさみます。旅には完全に向いていないですね。夏ならばTシャツ2.3枚いれて短パンでパパッと出られるのですが。寒さは本当にきついですからね、大袈裟な話凍死なんてのもありますし。ずっと日本で特に埼玉ですし、旅先の0℃前後の服装は全然イメージが湧かないですね。どのくらい防寒すればいいものか。冬服は安くないですし、結局暑くて使わず荷物になっても困る。冬服はたいていかさばりますしね。
アルバイトもしていないので収入はなく、うまく節約していかなければなりません。冬用のサイクルウェアもありますがなんだか贅沢品に思えてきまして、今日は遂に睨めっこ状態から試着に踏み切り、気に入ったのですがそんなこんなで結局購入には至りませんでした。
ユニクロの防風ジャケットとかシャツとか重ねればいけるかなあ、とか。
サイクルパンツは尻部にクッション性があり、長時間サドルに座っていても痛くならないうになっています。でも別にジーパンとかジャージで走れない訳ではない。サイクルパンツは贅沢品で甘えなのかなあ、とか。冬用のサイクルパンツ1枚だけでも1万円超えます。1万円あればユニクロの動きやすい防風パンツ2枚とあまりでヒートテックも買えます。どうしようどうしよう、と。この優柔不断ぶりはこう自分で文字に書いてるだけでいらいらしてきますね…。読んでるみなさんはもっとですかね、大変申し訳ありません。
ここ4.5日で唯一決断できたことと言えば、サイクルシューズではなく通常のアウトドアシューズで走ることにしたことですかね。足先の冷えはそれはそれは致命的でして、サイクルシューズの冬用仕様の防風防水のを買おうと思いました。がどうも店舗には置いておらず、インターネットでの購入のみとなります。靴は試着せずに購入は怖いなあと。またサイクルシューズにこだわっていたのはやはり走りが楽だからです。ペダルと一体化することで最大限ペダルに力が伝わったり、よく言われるのは踏むだけでなく引き足が使えることです。山登りは格段に楽です。ただこの”楽”というのがポイントで、別に普通の運動靴で自転車を漕げない訳ではない。これは完全に贅沢品ですから諦めることにしました。またサイクルシューズがあると別に街歩き用でもう一足持っていかないといけないのも荷物を抑えたい旅人癖っ毛にとっては痛手です。冬用のサイクルシューズと専用のペダルで2.3万は軽くします。アウトドア用の防水加工のシューズでしたらペダルはデフォルトでまだ靴本体1万前後で済むので無職にとっては大きな差でございます。先日下見は済ませておりましたので、明日近くのアウトレットのコロンビアさんで購入予定です。サイズがなかったらやっと決断したシューズも振り出しで考え直しですが…。
あと無職が辛いこととしては、クレジットカード関連ですね。
海外旅行によく行く友人からアドバイスをもらい、クレジットカードのショッピング額とキャッシング額は確認して増やしたほうがいいと言われました。先日早速確認してみるとショッピングは10万円、キャッシングは0円でした。明らかに食費と宿代を考えても足らない。早速ショッピング制限額の増額をお願いし電話をしました。ただ学生でもなくアルバイトもない無職で審査が通るのか…。キャッシングに関してはアルバイトもしておらず収入がないということで審査も受けられないとのこと…。キャッシングがどのくらい重要なのかわかりませんがどうにか現地でなるものなのでしょうか…。海外旅行初心者は全くわかりません。通常の銀行のキャッシュカードでは海外で現金は引き出せないようです…。青い銀行を利用していますがどうやら数年前に海外キャッシングの機能は廃止してしまったそう…。大量の現金を持ち歩く訳にも行きませんし悩みの種がまた1つ。
もうここ1週間程ずっと悩んでいた自転車にはシューズ同様決着がつきそうです。
大型店で安いのを買うか、地元の小さい店で元値で買うか。大型店であれば本体10万円で、地元の個人店でしたら13万円。性能も大型店の自転車の方がいいです。ただアフターサービスとか気軽に相談できることを考えると断然大型店より個人経営のお店の方がいいです。現在のロードバイクは大型店で購入したのですが後々のサービスを考えると個人店で買うべきだったと思っていました。個人店ではその店で購入していれば修理や点検も無料や安値で対応してくれます。大型店はそれに関わらずどの顧客からも工賃や作業料を決まった額取ります。なので今後自転車を買うことがあれば個人店で買おうとして決めておりました。
ただよくよく考えると旅が終わって1月後半に帰国するとして、3月後半には就職の関係で関西へ引っ越します。あまりアフターサービスは重要ではないのではないか、と。渡航前この初海外飛行機輪行で梱包の手伝いや相談を考慮しても大型店との本体の価格差3万円分の価値がそのサービスにあるのか。言うてしまえば海外輪行も色々なブログを漁ってなんとか1人でもできなくはない。
あと決め手となったのは支払い方法です。癖っ毛の家の近くの自転車屋さんはクレジットカードか現金のみでした。対する大型店には金利1%のローンによる分割払いが可能です。渡航前や渡航中は最大限手元にお金を残して置きたいのでこのローンによる支払いは魅力的です。5回から36回払いまで可能で金利はいずれも変わりません。正直金利1%はなにか怪しく怖いところではありますがやってみるしかありません。なにか失敗したら人生のいい経験として糧にするのみです…。預金残高からすれば現金で一括も可能ではございますが、旅中に予期せぬ出費等もあるだろうし少しでも手元に残すためローンで購入することにしました。明日早速契約にいこうと思います。
自転車のライトも値段も明るさもさまざま。明るいものほど高いです。セール品で7000円ほど。冬場で訪れる地方は日照時間が極端に少ないことが予想されます。暗い中での走りを考えるとその額のライトの購入も決して高くはありません。ただそんなに暗いのか。どの程度の明るさがあればいいのだろうと。ただ2000円程度の今使っているライトでは明らかに厳しそうです。ただライトに1万円前後も…、と。写真を撮って、下見をしただけでなかなか購入に踏み込めずじまいです。
お金があればなあ…少しは悩むことも少なくなるだろうか。クラウドファンディングでもやってみようかなあ…なんて意気消沈しております。
なにが贅沢品か、本当にそれは必要なのかか。
まだまだ旅が始まるまでにひと山、ふた山もありそうです。
自転車で歳の数だけ東欧・南欧・北欧諸国を巡る旅、始動。
ご無沙汰しております、癖っ毛です。
ちょうど西日本自転車旅が終わり1週間が経ちました。先日は大学の卒業式も無事終えました。来年4月までのニート生活が始まりました…。学割もないし、定期券もないし少々ニートは大変そうです。今日もインターネットを使って調べものと思い、家では集中できないので地元の図書館へ。ただネット環境が安定せず足早に去りました。駅のスタバでもいいのですが通い始めたら切りがなく、贅沢費用なので抑えなければなりません。仕方なく家で作業をやることを誓い、家に戻りました。
学生だったら定期券で交通費気にせず、都内の大学に行って良い環境とインターネット設備とで進められたのですが。自分の所持しているパソコンはポンコツで処理速度も遅いです。大学のパソコンだったらと…本当に恵まれた環境だったんですね。大切なものは失ってから気付くとは、何事にもよく言われるもので。
でその調べものですが、10月から予定している『自転車歳の数だけ欧州諸国を巡る旅』の前準備で、訪問予定23カ国のビザ査証の必要か否かについて今日は調べておりました。
調べながら旅の話だけじゃなくて、旅の前準備も面白くなりそうだと思って記事にすることにしました。
旅の時のように毎日更新というのは旅の準備に関する記事については難しそうですが、ぜひ道中だけでなく旅の前段階も共有して一緒に楽しめればと考えております。
改めて今後ともよろしくお願いします。
今からで大丈夫なのか、と自分でも心配になりますが本当にこの企画も思いつきでして…無鉄砲が過ぎるので日本では通用するかもしれませんが海外は訳が違いますから色々調べたり準備をしないと、と今日やっと本腰を入れました。
今日は外務省の安全ホームページで訪問予定国の状況の確認と、ビザ査証について調べておりました。
北欧、東欧、南欧と言っておりますが訪問予定国をずらっと順不同で挙げてみます。
ロシア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバ、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニア、アルバニア、マケドニア、コソボ、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルチェゴビナ、クロアチア、スロベニア、オーストリア、ハンガリー、スロバキア、ポーランド、チェコ
の23カ国でございます。今現在は22歳ですが旅中に23歳の誕生日を迎えるため23カ国巡る予定です。
まずは外務省安全ホームページで危険度等を見ていました。欧州は感染症などの心配はなさそうです。白地図が危険度に応じて色付けされていくのですが感染症などに関してはどこも真っ白でした。
ただ治安的な危険度に関してはそうもいかず…。なんとなく皆さんも想像するようにロシア、ウクライナは国全体満遍なく警戒レベル1の黄色でした。またウクライナの一部東と南部はレベル3でしたが、そちらへは元々渡航予定はないので大丈夫そうです。昨年行ったインドネシアも警戒レベル1ではあったものの何事もなかったので黄色に関しては過度に安心したり油断すること勿論ないですがそこまで心配はしておりません。
コソボの北部はレベル3でした。広域地図では白かったのですが、一応各国1つずつ確認しよつとクリックしたら一部レベル3で焦りました。主にセルビアとの国境で、恐らくセルビアはコソボ独立を認めていないようでその関係で情勢が安定していないのだと思います。これはルートをしっかりとうまく考えなければいけなさそうです。車のドライブ旅行で、コソボからセルビアに抜けようとしたら断られマケドニアから回って入国するよう指示されたとの記事もありました。気をつけなければいけなさそうです。
レベル3に関してはこのコソボとウクライナの一部のみでした。しかしながら少々怖じ気づいてしまうものも…。
黄色いラインが見えて、一応事前準備ノートにクロアチア一部レベル1とメモをしてよく画面を見たら、《地雷が残存していると思われる地域》と。さすがの癖っ毛も少しびびってしまいました。日本を自転車で走るときに死を意識することなんてまず絶対ないですからね。世界は自分が思っている程平和ではなさそうです。観光バスで移動したり、ツアーや空路の場合は全く考慮しなくて大丈夫だと思いますが。癖っ毛の場合自転車による陸路で自分で道を決めて進んでいきます。ちょっと休憩と寝転がったところに地雷、自転車で走っているときに地雷を踏む。その可能性が無い訳ではないという現実。身が引き締まるとはまた違いますが、なにかこう中途半端な気持ちや状態では到底旅できないなと考えさせられました。性格的にもじゃあこれで旅止めよう、クロアチア寄らないとはなりませんが、事前準備を怠らず十分に対策して無理のない範囲で実施し絶対この旅を良きものにしようと思いました。
ボスニア・ヘルチェゴビナも同様の区域があるようです。クロアチアの場合アドリア海沿いでうまく避けられそうですがボスニア・ヘルチェゴビナの場合満遍なくそれが少し難しそうです。多かれ少なかれこの黄色の区域を走らざるを得なさそうです。地雷がどこにあるかわからないため、ここら辺は少し緊張した走りになりそうです。
残りの国に関しては基本的に治安レベルは大丈夫そうでした。
続きましてはビザに関して調べ始めました。ロシアは既にビザ申請が必要なことを知っており7月に動いて取得済みでした。その際にざっくり調べていて大丈夫だと思っていたのですが…。
ベラルーシもビザが必要みたいです。またロシア同様に現地旅行会社の書類も…。トランジットの通過ビザまた5日間ビザなしでいける制度もあります。通過ビザは滞在が48時間と2日で出国しなければいけないので自転車旅には適さず、5日間ビザなし渡航は空路で出入国する場合のため適用外でした。ロシアの時のように空バウチャーを発行してくれる現地会社もなさそうで、日本の旅行会社にビザ取得代行を頼むことも考慮しています。あとはビザが不要なフィンランドやドイツを代わりに寄り歳の数を稼ぐというパターンも考えています。
なんかこう色々なリスクやそれに伴い行動パターンを考えたり、普段お恥ずかしながらただ本を読んだり、スマホをいじったりで頭を使うことがないので旅の計画は大変ではありますが脳みそに汗かいて本当に楽しいですね。
またコソボに関してはビザ申請は特に不要ですがコソボを出入国する際に押されるスタンプがあるとコソボの独立を認めていないセルビアをそのパスポートで出入国する際にそのスタンプに消印を押したり手続きに時間がかかり面倒になる模様です。まあ時間がかかるだけで入国できない訳ではないので特に問題はなさそうですが。なんだか日本の平和なぬるま湯の中で育った癖っ毛からしたら不謹慎かもしれないけどなんだか面白くも感じる。
本当に思っているより世界は複雑そう。
今日少し調べただけでそれを垣間見た気がする。
このロシア、ベラルーシ以外の国に関しては全て90日以内の滞在に関してはどこもビザ申請不要そうで安心しました。ただシェンゲン協定圏内は合計で90日以内で、初めに協定国を入国した国からカウントが始まるみたいで少々ややこしそうです…。90日以内で全路10000kmを終えなきゃいけない可能性も。のんびり旅したいなあ…。ここの部分に関してはもう少し調べる必要がありそうです。もしそうなればいいうまくシェンゲン協定国を周るようにルートを考えたり大変そうです。
とりあえず今日はこの2つを調べて終わりました。まだまだ雪、気温、また各国の路面状況なども調べていかなければいけません。自転車のキャリアなど装備についても考えないとでやることは山ほどありそうです…。
日本の自転車旅のように体力と自転車とある程度の資金があればというのとは異なり、一筋縄ではいかなさそうです。
本当にこの自転車で歳の数だけ北欧・東欧・南欧諸国を巡る旅を決行できるのか、何も言えない状況です。この地域の国には興味はあるので自転車は断念してバックパックで周ることになるかもしれませんし、はたまた自転車を優先して他の地域や国を自転車で巡る旅に変わる可能性もあります。
埼玉の小さな町で生まれて育って、20歳まで1度も海外に行ったことのない青年の社会人前の大冒険をこれから一緒に見守っていただけると嬉しいです。
ではでは失礼します。
よい週末をお過ごしください。
旅の終わりに:小を重ねて大を成す。
今日は祖母の家に顔を見せに行き、玄関前で洗車してきました。最終日も雨に打たれ、汚れてました。綺麗になってよかった。本当にビリーちゃんお疲れ様でした。
久しぶりに荷物なしで乗ったけどあんなに軽かったんだね。気持ちよかったなあ、すいすいすいすい。
おばあちゃんは好きだよ。癖っ毛が作れない料理を作れる。ちぎり絵もうまい。健康を意識して地域の体操なんかに行ってたりする。じいちゃんはもういないけどずっと円満に暮らして。
ただやっぱりうちの家庭は少し保守的で息苦しさを感じる時もある。今日もこの後はゆっくり家にいなさいよなんて言われたから今後のロシアの話を少ししたけど、祖母がなんでそんなことするんだ、危ない、胃薬も買ってきておくねとか。郷に入ったら郷に従え。薬も現地の訳のわからない薬が抜群に効くってわかっている。インドネシアでも結局日本から持って行った薬は全然使わなかったなあ。食当たりとかあって飲んだけど効き目がなかった。末っ子だからかねえ。心配はありがたいことなんだろうと思いますが。癖っ毛の家庭三代で恐らく海外出たのは姉と自分だけでして。姉は高校受験に失敗して私立へ行った。そこの修学旅行がオーストラリアへ2週間だったかな。お兄ちゃんは大学以降韓国とか旅行で行ってた気もするようなしないような。そんなでザ・島国日本人の家庭なので海外に漠然と不安とか恐怖があるんだろうなあ。もちろん自分も昨年初めてインドネシアで海外デビューする前は海外に行ったらスリに遭うとか黒人に襲われるなど訳もわからないことを考えておりました…。幸い1度もありませんでした。
自分も将来父や祖父の立場になったらこうなるんだろうか。でも本当申し訳ないけどまだ子供の立場しか経験ないからねえ、全くわからないんだ。いやあ親不幸、祖母不幸だなあ、本当に。正直ロシア渡航前に顔見せ行くのも気が重いなあ。またどうせ危ないのなんのって言われて、エネルギー全部吸い取られちゃう気がするんだなあ。今日もなんか疲れちゃったなあ。
で本題でして昨日はなにも達成感や実感がないなんてことを話しましたが今回はそれについて書いていこうと思います。
グーグルマップで休憩したコンビニ、ご当地ものを食べた食事処にあとは基本的に国道沿いですが曲がったところなんかにピンを打っていました。これを見ると確かに走っていたんだなあ、と少しは実感が湧いてきます。
旅が終わって、家族や友達におめでとうやお疲れさまと言ってもらっていますが、当の本人はぽかーんとしています。一応、ありがとうございますなんて返してみますが。あとはああ、なんて生返事。旅の道中で会った人たちも同じように、どこから来たのやどこ行くのと聞かれた際に旅の話をするといいリアクションをしてくださる。これから沖縄いきます、新潟まで北上します、って言うとすごいねえって。地方の友達に会ったりした時なんかは、よく来たねえって。でも当の本人は相変わらずぽかーんとしています。
正直近畿過ぎて四国辺りからずっとこの不思議な感覚に襲われていました。でも一丁前に書き起こすのは終わってからでないと権利がないと思ってずっとふつふつお腹の底に。
きっとその不思議の秘密がタイトルのそれなんだろうと思います。
小を重ねて大を成す。
これ道中で勝手に癖っ毛が思いついた教訓です。知らぬ間にどこかで見て勝手に自分で作ったようにしていたらまずいと思って検索かけましたがヒットしなかったので恐らくオリジナルです。
でも同じようなことを言っている方々は沢山。
宮本武蔵さんは、千里の道も一足ずつ運ぶなり、って言っていたり。
二宮尊徳さんは、小を積みて大と為す、なんて。
一歩一歩の尊さ、と松下幸之助さんも説いている。
道中で会った人や家族に友達も驚いてくれる、いいリアクションをくれる。ただ当の本人はぽかーんとしている。それは恐らく本人以外は”大”すなわち結果しか見ていない、というよりそれしか知らない。それから判断していいリアクションをくれる。ただ当の本人からしたら”小”すなわち過程が先頭に来る。毎日淡々と140km走っていたら知らぬ間に大阪で友達とお好み焼き食べていて、広島の友達の家泊まって、沖縄で小6と中2の弁当箱を洗ってて、福井で二日酔いして、酔いが覚める頃には埼玉の自宅に戻っていたという感じ。
全くこの西日本旅はすごいものだったり、立派なものだとは思っておりません。本当に誰でもできると思っています。小学5年生以上の体力と自転車、5.6万円程の資金、それに時間があれば誰でも。しかし嬉しい限りで多くの方がある程度のリアクションをしてくれるのでそこそこインパクトのあることだろうとは思いますし、客観的にこれを”大”とするという前提で話を進めます。多少なりとも出発前は自分自身でも大きいことだと思っていたからブログを開設したというのもまた事実でございます。
走り始める前はこの5000kmという数字を恐れておりました。あまりにも巨大で、できるのだろうかと。いや無理だ。地図を開いて見る度に途方に暮れておりました。
毎日英単語を10個ずつ覚えていたら知らぬ間に100万単語覚えていたなんてのと同じだと思っています。
本当に一歩一歩は小さい。その過程は大したことないんです、本当に。5000km走ったなんていうとすごいことのように聞こえるかもしれない。アメリカ横断できる距離ですし。ただ1日を見れば140kmしか走っていない。特に今日は日曜日ですから全国で何十、何百人以上の方が140km以上走っていると思います。自転車関係の投稿で人気ユーチューバーのけんたさんはこの前1日で415km走った動画なんて上げていたりした。出雲大社前日なんて1日で15kmしか走っていない。
この小を重ねて大を成す感覚をこれからの生活に活かしたいし、活かさねばと感じております。
今年の夏前中国語をやろうとテキストまで購入しました。台湾に旅行で行く予定もありますし、仕事でも台湾や中国が取引先で多いので使うこともあるだろう、と。ただ最初の子音や母音でいきなり面を喰らいまして…。日本のそれと比べたら莫大な数でして自学では途方に暮れてしまいました…。そんなでいつの間にかテキストを開かなくなっておりました。
今は少し中国語と向き合える気がします。タイミング的にまたすぐどこか行ってしまうので中途になりそうで始めるタイミングは様子を見ておりますが、この積小為大を活かせそうです。逆にそれらに下向きになるのではなく、話せる自分つまり最終的なゴール、”大”を見据えて楽しく取り組めるような気がします。折れそうなときもなんとかひと踏ん張りできそうです。こう口で言うのはやはり簡単ですからしっかりと結果を示していかねばと思います。
急にはやはり話せるようになりません。一から、子音から積み重ねていくしかありません。いつか話せるようになりたいなあなんて夢見ていたって話せるようには絶対になりません。どんなに強くそうなりたいと願うよりも、膨大な数の音声のうちの1つでも覚えた方が確実にそれに近づくのです。
将来会社からなにか任務や課題、売上目標を提示されたとき、無理ですよと文句を垂れるよりも着実にまずできるところから取り組む。今はそう思います。
就職活動なんかで座談会などに行くと新人や2.3年目で取引先企業の売上前年比何十また百%以上増を達成した”できる”新入社員さん方がお見えになっていました。その”大”だけを見てなんとなくすごいなあ、とか就活生ながらに感じておりました。実際に大変なことだろうと思いますし、学生の自分には到底まだできないと思いますが同じことだったのだろうと感じます。マメに取引先さんと接触を図ったり、他社製品研究だったりそれに伴い自社について分析をしたり1つ1つ小を積み重ねていった先に大があったんだろう、と。
その方々もぽかーんとしておりました。すごいことをしたなんて到底思っていないような態度で、なんか人事や上司に呼ばれてそこの前に座っているような雰囲気で。これでもかと言う程自分の実績に対して謙遜されている方もおられました。みなさん同じようなことを口にしておりました。取引先さんを大切にして、主体的に取り組んでとか、わからないことがあれば積極的に上司に相談してとか。なんとなく就活生でもわかるような当たり障りのないと言えばないことでした。でも今なら少し、ほんの少し外枠だけですが種がわかるような気がします。
まあそもそも大を成す必要はないのかもしれません。ひとの価値観はそれぞれです。
自分は小学校6年の卒業文集の将来の夢の欄で、チャンピンズリーグにアーセナルのキャプテンとして出場し優勝カップを持ち上げるなんてことを書く程には負けず嫌いで野心はある類の人間です。
ぜひ今回得た小を重ねて大を成す、これを今後の勉強や仕事、生活に活かして大なり小なり自分の目標や夢を少しでも達成して、謙虚さは忘れずも自分に自信を持った自分の目指す素敵な大人になりたいなあと思う所存です。
汚いメモ書きも使えないクリートも全部思い出の品で捨て難いけど捨てなきゃなあ。
優勝カップやメダルを家や部屋に飾るのは良くないってどこかで聞いたことがあるようなないような。過去に固執しないように気をつけないと。
ではでは、失礼します。
お読みいただきありがとうございました。
最終走:自転車西日本旅、学生最後の夏休み終わりました。
言うて卒業式と内定式終わったらまた10月から来年4月までニートで長期休みなのですが…どうも癖っ毛です。
昨日の夕方地元に着いて西日本の旅を終えました。日数は8月10日に家を出て37日間走り続けました。サイクルコンピューターが途中不具合もあり正確な距離は測れておりませんが4000kmは確実に走っていて、5000kmはぎりぎりいかないくらいかなあ。
旅で感じたことなどはまた別にまとめるとして、まず昨日の最終日の走りを。
言うて帰るだけで食べものなども共有するものございませんが日記がてら更新させていただきます。昨日は家に着いて、荷物を片づけてで疲れて記事更新できずに寝てしまいました。では。
この日が最後の野宿になりました。最後のテント場所はローソン赤谷湖畔店の展望デッキのようなところです。この展望スペースもローソンさんのスペースのようでした。恐る恐るテントを張りました。ぎりぎりここはローソンさんではなく公共スペースなんてことも期待しながら。樫原神宮近くのセブンイレブンさんでは駐車場の本当に端っこに立てましたが結局中でリラックスしている時に店員さんがご指摘に来て移動ということもありました。のでまあ移動の覚悟はしておりました。
テントを張ってアイスを買おうと店内に入ったら店員さんとお客さんが自分のテントの方を見ながらざわざわしておりまして。知らぬふりもできないので、あ、立てたのは自分です。大丈夫ですか?と。
そしたら店員さんが全然大丈夫ですよ、と。ほっとしました。ただ名札を見たら初心者マークがついていてアルバイトさんでしたので、少々不安も。店長さんやマネージャーさんにも聞いた方がいいですかね?と言うとじゃあ自分聞いてみますね、と。
店長さんからもOKサインいただきました。これで安心してぐっすり最後の晩を過ごせます。このアルバイトのお兄さんのお友達が自転車で北海道行ったり、沖縄まで行って帰ってきたり、最近ではオーストラリアを横断したみたいでこういう類に理解がある方で助かりました。全然自分自転車旅の人とか批判的でないですから、大丈夫ですよ、と。
この夜は全然寝られませんでした。旅の終わりに興奮していたのでしょうか。ローソンの裏なのでWiFiも使えて、卒業式のネクタイどれにしようか楽天をいじってみたり。結局寝たのは0時が過ぎてからでしたかねえ。
セブン、ファミマと今は主要なコンビニはどこもWiFiがありますがローソンが一番いいですね。通信可能時間、接続までの手順どれをとっても一番便利です。ファミマさんは少々面倒ですし専用アプリから接続しない場合は20分を3回で1日1時間しか利用できません。まあちょっと休憩中にいじるくらいなら十分ですが、ブログ更新などの都合で毎回テント場所予定地の近くにローソンさんがあるかは重要視していました。
高地ということもあり少々寒かったですが、レインウェアを着て寝袋にくるまり温かくぐっすり眠れ、よい朝の目覚めでした。
外は寒くてフードインがあったのでそちらで朝食を。なんとなくパン食べ外見ながら地元の街の様子を思い出し1人でうるっとしてしまいました。商店街の様子とか、街の音とかどんなだったかなあって。大した街でも景色でもないんだけども、なんだか急に。
肌寒さが余計にそういう気分つくってくるから寒いけどとっとと出発しなきゃと、上だけウェア着て軍手を手袋代わりにはめて赤谷湖を出ました。ここからは本当に下りでびっくらこきました。
沼田・渋川間で川沿いで坂の上り下りありましたが基本的に70kmくらい高崎手前まで下りでしたね。周りの景色をのんびり見ながら走りました。天気はどんより曇り空でした。晴れて赤城山とか見えてたら最高だろうなあなんて思いながら。
土曜日だから週末自転車乗りの方も多かったですね。三国峠を目指す人に2.30人すれ違ったんじゃないかな。こんな朝早くに下る人は自分だけでみんな反対車線で必死に登ってる。もう三国峠を登って下り始めているのか、なんたる強者と言わんばかりの視線を勝手に感じて優越感に浸りながら下りました。群馬側からは少しきつそうだったなあ。
今回はお昼も適当に本庄のローカルなラーメン屋さんで済ませました。ずっと三国街道と中山道を走ってましたが知らぬ間に埼玉に戻ってきていましたね。小川辺りからは道路案内見ると地元の名前が表示に、遂に帰ってきましたねえ。それを見たときは嬉しかったなあ。
埼玉入ってからは雨が降り始めましたが心はすっかり晴れ模様。温かい白ごはんにふわふわのお布団、家を目指して雨宿りもせず地元へ向かいました。
途中からはいつもの休日サイクリングコースで案外しれっと帰ってきました。ちょいと家に帰る前にぶらぶら街を走りましたが特にノスタルジックに襲われる訳でもなかったなあ。いつものように街は動いていました。人、バス、車、電車。ちょっと新しいお店ができてたりもしてたけど。
でも本当に不思議でした。
家の前のその道、地元のその道は確かに大阪や高知、長崎日本中の友だちにつながっているんだ。当たり前っちゃ当たり前だけどなんかすごいし、ロマンチックですらある。厳密に沖縄は残念ながら道ではつながってないけど、確実に自分はここから出発して自転車で沖縄まで行って今ここに帰ってきたんだって。面白い感情というか感覚だったなあ。
という訳で無事に埼玉に戻りました。雨に打たれ、4年間使っているサイクルシューズは色褪せてぼろぼろ。さすがにこれでお別れですかね。1ヶ月もほぼ晴天の中走り、サイクルパンツも色褪せてみっともない格好になってしまいました。これ以上これで走ると少々見すぼらしいかな、ぎりぎり間に合ってよかった。手のひらもずっとハンドルを握り続けて皮が剥けてしまっている。あんまり着ける意味ないだろうとグローブは持ってきてませんでしたが、少々長い旅の時は必要そうですね。
愛車のビリーちゃんとも長期旅は今回の旅でお別れかもしれません。気温や雪だったりで案外自転車旅が難しそうなので変更は大いにありますがこの後は一応ロシアのセイントペテルブルクからチェコのプラハまで歳の数23ヶ国を巡る予定です。本当は彼と行きたいですがタイヤのキャリアの関係でまた別にツーリング用の自転車を購入することも考えております。あっちの道は日本のように綺麗に塗装されているかわからないのでタイヤも太めのだったりすることを考えると少しビリーちゃんでは難しそうです。まあこれからそこら辺はゆっくり考えて行きたいと思います。出会ってから4年半文字通り日本全国連れて行ってくれてありがとう、お疲れさま。これからも週末の走りとかはよろしくね。
月並みではありますが色んな方々に感謝でございます。挙げていったら切りがないですね。本当に恵まれた旅でした。
37日間走って雨の日は5日もないのではないか。それか癖っ毛が多少の雨は気にしないからそれらをカウントしていないだけなのか。本当に晴天の日も多くよかった。しつこいけど東北旅は旅期間中8割雨の日で心も身体もぼろぼろでした…。
パンクも1度もありませんでした。約5000キロ走って1回もないのは逆に怖いですね。北海道旅も同じタイヤ使ってますからそれを合わせたら6000キロもパンクなし。あのバーストする音とかパンクの絶望感をいつでも覚悟はしていましたが幸いその瞬間は訪れませんでした。頑張り過ぎなくていいんだよ、心と修理の準備はできてるよ、とタイヤに話しかけたりもしました。
パンクをしないのは本当に道路が綺麗で整っているていう証拠でもありますし土木関係や交通整備の人たちにも大変感謝です。工事する人、それに伴い交通整備をする人、歩道や車道へ伸び茂った木を切る人、色々な人を走りながら見ました。旅中に私も若い頃走ったよなんて人にも会ったりしましたが、その方々が走るときはガタガタだったり、コンクリートの道ですらなかったかもしれない。振動もなくストレスフリーですいすい気持ちよく走れるって、当たり前ではないんだろうなあ。これから海外とか走るとそれはより感じるかもしれない。去年インドネシアでの自転車通勤は所々ボコボコだったり大変だったかな。買ってすぐパンクしたり、そのあとはパンクなかったけど路面は常に注意して見ながら走らないとだったかなあ。
人との出会いも貴重です。仕事終わりだったり、華金や貴重な日曜日なのに会ってくれた各地の友達や先輩には感謝です。その土地の話を聞いたり、ご当地のものをご馳走になって至福のひとときでした。お友達の友達や先輩をご紹介していただいたり。コンビニ前で休憩や食事をしている時に話しかけてくれたお兄さん、おじさんにおばさん。声援をくれた交通整備のおじちゃん。徳島では同年代と見られるドライブ女子3人組に渋滞で並走しながらおしゃべりなんかもした。そんなこと三重辺りでもあったなあ。
雨宿り中多岐で会ったお父さんはいつも話しかけたいんだけど運転中だったりなかなか他の旅人に話しかけられないって。その方はその代わりにハザードで伝えているらしいけど、伝わっているかなあ。皆さんにもぜひ話しかけてほしい。話しかけずとも通り過ぎ際や追い越し際にグーサインをするだけでも癖っ毛含めこういう類の人には大きな力になる、元気になる。
京都の宮津や京丹後辺り走ってる時疲れてだったかなあ、走りながら眠ってたんだけど追い越し際にバイク乗り3人組にグーサインされて頑張ろうって目が覚めたりもした。割と寝不足なのか、平坦で退屈なときとか居眠りしそうになることがしばしば…。
ツイッターのいいねやもちろんこのブログでもアクセス数を見て決して多くはないけど読んでくれている人がいるということは大きな力になりました。記事に星マークを押された日には嬉しかったです。アクセス数とか星マークのためにやっている訳では全くないけど単純に嬉しいし、勝手に応援してくれていると解釈していました。笑
3600字もスマホでだらだら書いていると疲れてきて何かまた誰か見落としていそうだなあ。でも本当にこの旅にどういう形でも関わっていただいた方皆様に感謝です。それは人だけじゃない、道路、天気に日奈久温泉で出発際寂しそうに泣いてくれた猫も、みんな。
とりあえず休憩して、旅で感じたことなどはまとめてまた別に記事を更新したいと思います。しっかりと文字化してこの旅と一区切りして気持ちを切り替えて、いつまでも余韻などに浸ることなく次に進んでいこうと思います。
本当に贅沢で幸せな37日間でした。
本日もお読みいただきありがとうございました。もう少々このブログともお付き合いいただけると嬉しいです。
ではでは、一旦どろん。
第三十三走:奥さん、東京まであと180キロだってさ。
遂に遂に関東に入りました…
長岡辺りから国道17号をずっと走っておりますが湯沢辺りからだったかな、東京まであと何キロって案内が出始めました。東京かあ、東京だよ奥さん。癖っ毛、戻ってきたんだね。
さて三国峠どうだったのか、さあ今日の走りをおさらい。走りたてほやほやのうちにどうぞ。
そうそう今日の目覚めは良いとは言えなかったね。なぜかって?起こされたからさ。なにに?サイレンさ。あの奇妙な音の緊急サイレン。最初何のことか全くわからなくて、奇妙な音だなあって。なにか大掛かりな訓練かと思いました。眠い目をこすって体を起こして、耳を傾けてみた。北朝鮮がミサイルを発射したから建物の中へ避難してください、って。犯人は北朝鮮のミサイルでしたか。と起きてトイレに顔を洗いに行ってこの日が始まりました。
セブンで朝ごはん食べてたらおじさんに話しかけられて、息子さんがロードバイクを欲しいそう。今はクロスバイクに乗っているそう。中学生だってさ、いいねえ。癖っ毛がこのビリーちゃんを購入したのは高校卒業と同時。ケチな癖っ毛には本当珍しいけど、貯まった小遣いほぼ全部はたいて彼と出会った。もう少し早く出会えてたらとも思うよ。高校で自転車部とかやってみたかったなあ。レースをするには少々出会うのが遅すぎたかな。だから中学生でってなったら羨ましいなあなんて思いながらお話してた。おじさんからじゃあ頑張ってねって、今日も走り始めました。
とりあえず目標は今日で三国峠越え、せっせと新潟を南下しておりました。ここで悪魔の囁き、モンスター飲んじゃいなよって。三国峠はすごくびびっていたし朝から飲もうと思ってた。でも残り50キロくらいになってからかななんて飲まずにだらだら。小千谷のセブンで休憩している時も飲みそうになったけど、とりあえず南魚沼か湯沢行ってからって。そこまでは緩い上り坂かほぼ平坦だからまだ飲み時ではないなって。
南魚沼入ると本気丼って幟が沢山。今調べてみたらコシヒカリのキャンペーンをやっているみたい。卵かけご飯屋さんやらラーメン屋さんやら色々なところにあったからどんな料理なのか気になっていたけどそのまま湯沢へ向かいました。各店で南魚沼のコシヒカリを使ったどんぶりをキャンペーンしているみたい。
ちょうどチェックポイントの湯沢に着きました。ここから段々と登り始めていく。一気に600、800、1000m...って標高線を見るのが怖かった。とりあえずもう1時を過ぎてお昼だったのでご飯を食べることにした。湯沢駅前の中野屋さんでへきそばってのをいただいた。南魚沼地方発祥でへき、って器に盛られて供される。これはインパクトがあって面白いなあと思って寄ってみました。
2人前からの注文で2人前いただいちゃいました。基本的には前にも言いましたがカロリー低いのでそばはあまり食べないけど、今日は残り40キロもなくて実質漕ぐのはあと三国峠まで25キロ。そのあとは下るだけ。だから名物というし食べてみました。歯応えあって、香りも良かったですね。2人前でしたがペロッと。料理待っている時間の方が食べる時間より長かったんじゃないかな?綺麗に並べられて見ているだけで楽しいですね。
そしてモンスターとの最終決戦。駅前のセブンで買うつもりで止まりました。ここから本格的な登りが始まる。この先には到着予定地の群馬県側のローソンまでコンビニがない。飲むならここだ。
でもなんか飲まずにいくかって。ここでモンスターに頼ったらずっと頼りそうで。ここは実力でいかなきゃいけない気がした。これで飲んで越えても胸張って三国峠を越えた、埼玉戻ってきたって言えなくなりそうで急にびびったのかね。モンスターは飲まないことにした、実力で自力で越えることにした。
で登り始めたんだけど坂がどうこう、登りがどうこうの前に寒いんです…。道の気温表示で15℃でした。登り坂の時は本当に汗かくからそれがこの気温で冷えてきつかったですね。まあ周りを見渡せばスキー場だらけ高原地帯ですからね…。鼻水たれてはすすっての繰り返し、なんとも格好悪いね。レインウェア着てもいいけど動きづらいし、長袖は持ってきていないし…。1人長期旅模様の自転車旅人とすれ違ったけど彼は長袖長ズボンでばっちり防寒してたね。少し無鉄砲過ぎましたかね。9月はぎりぎりいけると思っていましたが。
で峠自体はどうだったのかって言うと正直言うほどでもなく助かりました。少々ビビりすぎていましたかね。国道なのでやはり傾斜はそこまできつくなかったです。まあずっと3.40キロ登りというのは傾斜がどうあれ簡単ではないですけれども、県道で大変な道を濃霧と雨の中登った四国カルストに比べればなんのその。淡々とひと漕ぎひと漕ぎ確実に進んでいきました。
あとは交通整備のおじちゃん達に助けられました。ここ1ヶ月走ってるけど交通整備のおじちゃんに話しかけられることはなかったけどここのおじちゃんたちは気さくでしたね。1人は通り過ぎる時にどこいくん?って。埼玉戻ります。頑張ってねーって。ほんの一瞬のだけどこのひとときが力になるんだ。基本的にここら辺車は高速道路使うしあまり交通量はないからね、1人で孤独に登ってる。おじちゃんも1人ぽつり交通整備が寂しかったのかな。
もう1人は片側通行整理の人で待っているときに、どこからきたの?って旅の話して。三国峠までの道について尋ねたりした。ここまで来たらもう大丈夫よ、って。よしあとひと息って漕ぎ続けた。
閑散とするオフシーズンの苗場スキー場を過ぎて遂にここまで来た。モンスターなしで。しつこいか、でも自分にとっちゃそこそこ大きな意味があるんだ。自力で来たんだ。当たり前っちゃ当たり前なんだけどね、情けない。ここからは群馬の市街地まで下りでそこから埼玉まで平坦だ。もうあとは楽ちん、榛名山や群馬県庁には昔行ったことがあるしお馴染みの道だ。ここまで来た。正直、無理そうだったら、湯沢か少し頑張って苗場で今日は過ごして明日また三国峠越えようと思っていた。けど朝から登りはしんどいし、苗場とか寒過ぎてとても夜を越せそうになかった。
よしよしよし、自分の胸を叩いてよく頑張りましたって。三国峠のトンネルでは叫んだね、ふぉーって。気持ち良かった。
群馬県に入ったで、関東に戻ってきたんだ。
少し下って今は猿ヶ京温泉付近にいます。下りも下りで大変だったよ、寒い寒い。少し街中まで下れるところまで行こうと思ったけど5時過ぎで日は沈みかけていたしここで今日はストップ。まんてん星の湯さんでお風呂に浸かりました。いやあ最高でしたね。湯に浸かってもなお鳥肌たってる程には身体が冷え切っていましたからね。
ローソンのフードインで今日はコンビニご飯。食べながら記事を更新しております。今日はいい夢見られそうだ。
三国峠を越えたご褒美にまたアイスを食べて寝ますかね。埼玉の自宅まであと120キロ。恐らくこれから30キロくらい下りじゃないかな、だから実質走るのは100キロもないと思う。
終わるぞ終わる、旅の終わりがすぐそこだ。
1日だけでいいから帰ったらお家のお布団でお寝坊さんしたいねえ。
まあ気を抜かず、最後の道色々噛み締めながら着実に進んで参りたいと思います。明日は距離もないので朝寝坊できるかなあ、今夜は記事も更新したし本でも読んで最後の野宿楽しみます。最後、最後ってなんかしんみりしてしまいますねえ。
ではでは失礼します。本日もお読みいただきありがとうございました。
あと1日、あと1日。
第三十ニ走:祝・完卒業までに47都道府県庁巡り
皆さまには今回の西日本30府県庁の様子だけしかお伝えできておりませんが、大学1年の時に大学卒業までに自転車で47都道府県庁を巡ると決めて無事今日47つ目新潟県庁へ行きました。自転車なんかしてる場合じゃない、勉強しなきゃインターンしなきゃと寄り道もしましたがなんとか卒業5日前に滑り込みセーフです。
正直まだ実感も達成感も全くないですね。ふーん、という不思議な感じ。それについて別で記事を書こうと思います。
とりあえず新潟・上越から新潟市へそして燕三条で先輩とお寿司を食べたこの日の走りをおさらい。
豪雨が降ったり止んだりでなかなか寝つけず、そんなで朝を迎えました。夜中は次の日どうなるか心配したけどとりあえず雨は止んだみたいでよかった。いつも通り朝食を済ませて出発。
国道8号ではなく海沿いを行くことにしたんだけど、幸か不幸か何事も両面ある。柏崎までは少し登り下りだけど前日同様天気も晴れで風もなく海沿いは気持ちよかった。遠くに佐渡島を望みながらの海岸線。でも休憩どころが全くなくて、コンビニは結局寺泊までなかったね。いつも大抵2時間走ったくらいか50km走ったくらいでとりあえずコンビニでひと息つくんです。朝出発して寺泊まで60km以上コンビニなくて、この日は3時間弱も朝出てからノンストップで走ってしまいました。やっと見つけたファミマでひと息。
そこから少し走ったらおいしそうな通りが…。
魚のアメ横なんて呼ばれているよう、寺泊魚の市場通り。いやあ海鮮は我慢していましたが焼き物はいいだろうと色々食べてしまいました。贅沢な休憩でした。カレイに揚げ饅頭、名物らしい番屋揚げ。
イカ焼きもおいしそうで大好きだけど魚の串焼きなんて珍しいからカレイを。番屋揚げは元々米山サービスエリアの名物なのかな?佐渡のいわしやあごを使った練りもので、たこやエビのぷりぷりといんげんやネギなどの野菜のシャキシャキとのハーモニーが絶妙。サイズも大きくて食べ応え満点。
寺泊から新潟県庁まであと40キロ、ちょいと終わりが見えて油断したか40キロがなかなか長くて気持ちだけが先走っていらいら。いつ県庁につくんだ、どこだどこだって。まあ自宅から新宿の距離ですからねえ、短くはない。
そうこうしているうちになんとか県庁着いて、自販機で1本買って県庁前で乾杯。あ、オレンジジュースね。でも本当に全く実感もなにもなかった。なんか着いたらしいぞ、最後の県庁。終わったらしいぞ、って。
ひと息ついて写真撮影。最後らしく元気に撮ってみた。新潟県庁は人通りが少なくてよかった、三脚でこの撮影結構メンタルきますよ。
お昼は新潟の友達からタレカツ丼を食べて欲しいと言われていたので駅前行ってタレカツ丼を。あれ昨日のは?なんだかやはり温泉施設内のではね、済ませられないなあと。念願の海の幸は新潟の晩と決めていましたから昼は政家さんへ。なんか量も少なくどこもコスパが悪いってレビューを見てたけど3時以降のタイムサービスで500円でこのタレカツ丼を…そして大盛無料。旨かったですなあ。タレが全体にまんべんなく漬けられており、福井のソーツカツとはまた違いました。
近くの郵便局でこの度最後のポストカードを埼玉のお家へ。島根の出雲から送って以降送れてなかったなあ。これが届く頃には埼玉に着いてるだろう。
夜は燕三条にいる先輩に会う予定があり、新潟市内をあとにして国道8号で南下し始めました。市内から30kmと少々あったので結局この日も140km近く走っちゃいましたね。
無事に先輩とも会えました。お仕事で少しの残業もあって8時でしたがお忙しい中ありがとうございます。この後も忙しく次の日有給を取っていてこれから4連休だそう。癖っ毛と別れたらそのまま新幹線に乗って東京のご実家へ、日をまたぐくらいにはもう東京のご実家に着けるみたいです…。電車恐るべし。癖っ毛はせっせとあと2日は漕がなければ。
もちろん新潟の晩餐は念願のお寿司…!あぁ、幸せでした。新潟・岩舟漁港直送の回転寿司屋栄助さんでいただきました。ちゃんと入る前に新潟の港の魚か確認しました。笑これでチェーンとかでは残念過ぎますので。
100円でないお寿司なんて贅沢やあ。お寿司は基本チェーンの100円回転寿司ですからねえ。1回だけなぜかガッテン寿しってチェーンではありますが100円ではないお寿司屋さんに家族で行ったことありますがそれきりでしたね。それにタッチパネルじゃなくて口頭で中央にいる握り手さんに注文するスタイル、いいですねえ。炙りまぐろ、焼き鯖、鯖寿司にもうすっかりあきですから秋刀魚もいただいて…もう本当に幸せでした。海なし県民だからこんなに魚が大好きなのかなあ。本当大好き。何皿でもいけますね。別腹ってよく言うけど、癖っ毛の別腹はスイーツやお菓子じゃなくてお魚さんのそれかな。先輩がご馳走してくださるということでしたのでさすがに気を遣って10皿程で止めましたが30皿くらいいけたかなあ。この晩の寿司について話し始めたら終わらないのでこの辺でぐっと堪えます…。本当ご馳走さまでした、私は幸せものでございます。
先輩とお別れして、銭湯も近くにないのでこの夜はそのまま燕三条の道の駅で寝ることに。県庁巡りを終えたということで近くのイオンでスーパーカップをご褒美に買って食べて就寝。
最後の最後に三国峠の1000m越え…さあどうなるか。まだまだ気が抜けません。四国カルスト時のように濃霧や雨でなければ黙って登るから天気だけは頼みますという感じで寝袋の中へ入りました。
お読みいただきありがとうございました。
それでは。
第三十一走:最終決戦の地:新潟へ入っちゃった。
ブログをあとで書くと昨日とか今日とか時間軸が面倒になりますね、癖っ毛です。
昨日は石川県は内灘を出て、富山県庁に挨拶そして無事215kmを走り切り新潟県上越市の道の駅よしかわで夜を明かしました。
前の晩しっかりと休養したおかげで朝はすっきり。5時過ぎには起きて、テントをぱぱっと片付け身支度してセブンイレブンへ。もっと近くにローソンあるんですけども、ここずっと毎朝朝食ローソンで少々飽きてきて…。基本的にマーガリンパンやコッペパンでカロリーを取るのは変わりませんがコンビニ変えれば少しは味も変わるかと…。そんなで朝ごはんを済ませて6時半には内灘を出ました。
島根のお父さんに言われたことを思い出し自分を励ましながら、まずは富山への山間を抜けていきました。確かにやっぱり坂が目の前に来た時は、うわってなります。が冷静に見てみるとそんなきつくはない。勾配も緩く、少々長かったりするだけ。長距離を意識して脚を使い過ぎずに軽めのギアでせっせと富山へ。富山に入ってからは本当に平坦で、路面状況もよくすいすい。10時過ぎには県庁に着きました。ただ富山は目立つような碑がなくて残念でした。
まだ昼の時間ではありませんが、富山に来たのでブラックラーメンを食さねばと。富山ブラックは地元富山県民は食べないなんてことも言われているそうですが、ラーメン好き癖っ毛には関係ない。1年の時は月に2万円ラーメンに消えてったこともあるほどでして…。どこも開店が11時以降でしたがこの先行っても富山ブラックを食せる良店がなさそうでまだ先が長いので命取りではありますが待つことに。西町大喜本店さんがひっそり過ぎて気づかず見つけるのに苦戦しました。で見つけたと思ったら定休日で…。でも駅前店は営業しているということでそちらへ。
黒かったですねえ。もちろんスープまで完食。レンゲがなかったから本来スープは飲まないもんだったろうかなんて。濃い口好みな癖っ毛には最高の濃い醤油ベースで大満足でした。ずっとメディアとかで見ていたりして気になっていました。今回食せてよかったです。
あと店内のラジオで、星野源やセカイノオワリの曲がかかっていて急に現実に戻されたような感覚が。普段旅中は音楽なんて聞かないです。無駄に充電も使えないので、本当にきつい時に聞いて走るくらいです。いつも聞くのはトンネル内響く車の轟音、虫の音、風の音。最近は雨音とか。あとは稲刈り機の音。ピッピッピッて音を発しながら動くんです。山陰からずっと田園風景が広がっていて何回あの稲刈り機の音聞いたかなあ。そんな中急に流れていたJ-POPがなにか自分に旅の終わり、都会の生活が近づいていることを言っているようで。今はこんな曲が世間では流行っているのか。また星野源がドラマの主題歌やってあるのかなあなんて。旅が終わるそんな感じに襲われました。
お昼ご飯も済ませて、この日の後半戦開始!とグーグルマップで残り距離を確認したら、140km...。富山まで走ってきてまだこんなにある。お昼からこの距離走ったら絶対日が暮れるよなあとか、正直心折れそうでしたけど昨日サボった自分がいけないですからとにかく漕ぎ始めました。でもなんか気分が乗らず、あの方の出番です。そう、モンスター。
レッドブルとモンスターどちらが効き目あるのか永遠の疑問ですが今日はモンスターを。不思議ですね、本当に効果があるのか気持ちの問題か…走りがガラッと変わりました。富山を過ぎたら新潟・糸魚川に入りずっと海岸線。それをすいすい。
ただ工事で交互通行が多くて自転車には辛いです。基本的に最後の一台が行ってから通されて、反対車線の人は自転車が抜けるまで待ちぼうけ。ここの洞門トンネル工事は規格外で、交互通行箇所が1.2km続くんです。反対車線の待ちぼうけ運転手さんに申し訳なく思いながらせっせと漕ぎました。こちらもこの日は長距離という都合がありますからそれを考慮した上で全力で。トンネルを抜けて反対車線を見たとき何十台も待っていたときは目のやり場や表情に困ります。なんとなく海の方見て逃げてみたり、軽く会釈してみたり。
それを抜けて親不知付近以降は有難いことに本当に湘南鎌倉のような平坦な海岸線でのんびり確実に進みました。風もなくて、山側は真っ黒い雲だけどこっちは晴れで天候にも恵まれました。川が少々汚かったから恐らく山側は雨降ってたかなあ。
少し日が沈んでしまいましたがなんとか新潟上越市の道の駅よしかわにたどり着きました。周囲には他に食べるところもないので併設されている温泉施設内のレストランで夕飯を。ラッキーなことに水曜日はサービスデイらしく、新潟名物タレカツ丼が600円、ご飯のお代わりも自由でした。
そのあとはゆっくり温泉へ。久々の200km越えですからね、身体を労わりました。
じゃあ近くのセブンでご褒美にバンホーテンと鈴カステラと思ったら外は土砂降り。読めませんね。少々待ってなんとか購入。でテント立てに道の駅と思ったらまた降って…。次の日は一応天気予報晴れだけど大丈夫だろうか、と。
あとここの道の駅は真っ暗であんまり野宿には適してないでしたかね。夜中も降ったり止んだり、トタン屋根で音が尋常じゃなかったね。真っ暗だし少々怖かった、22歳だけどね。これはおかしいと思って調べたらやっぱり大雨洪水警報出てましたね。床下浸水しないか、外に置いてあるバックが濡れてないかちらちら確認しながら寝ては起きて。最後まで旅は気が抜けなさそうです。
さあさ、それでは大学1年のときに始めた卒業までに自転車で47都道府県庁巡りも終わりがすぐそこに。無事新潟には着いたのか。